氷河は極地や高山に存在し、その変化は気候の変化の指標といわれている。また、氷河の消長に伴う海面変化、氷河が供給する水、氷河がつくる地形や地質など、氷河は人々の生活や文化に深くかかわってきた。氷河気候学を専門とする藤井理行さんに、氷河の定義や南極の氷から解き明かす過去の地球環境など、氷河からわかることをお聞きした。
昭和基地(オングル島)から南極氷床を遠望する。大陸を隔てるオングル海峡は夏でも海氷に覆われていることが多い。南緯90度の南極点を中心に広がる南極大陸の面積は約1388万km2で日本の約37倍、ヨーロッパ大陸の約1.3倍。平均厚さ2000mの氷に覆われており、その下には複雑な地形の岩盤がある(提供:国立極地研究所)
インタビュー
国立極地研究所 名誉教授
総合研究大学院大学名誉教授
藤井理行(ふじい よしゆき)さん
東京工業大学理工学部卒業。理学博士(名古屋大学)。アイスコアを用いた気候・環境変動、地球温暖化と雪氷圏変動、富士山の永久凍土などを研究。特に、深さ1000mを超える深層コア掘削幾の開発やコア解析・研究を含めた大型プロジェクトを推進し、地球規模の気候と環境変化の解明に貢献した。2005年10月1日から2011年9月30日まで国立極地研究所の所長を務めた。
北極や南極、そして高山などの寒冷な場所では、年々降り積もった雪が自らの重みで圧縮(圧密)して氷に変わって、氷河が生まれます。
氷河は、「氷床(大陸氷河)」と「山岳氷河」に分けられます。氷床は、大陸全体を覆うような大規模な氷河で、現在は南極とグリーンランドにあります。
そして山岳氷河は、その名の通り山地に分布する氷河ですが、さらに、(1)谷氷河、(2)山腹氷河、(3)岩石氷河などに分類されます。
(1)谷氷河は谷筋にできるもので、遠くから見ると氷が谷を埋めているかのようです。アルプスやヒマラヤに多いタイプです。(2)山腹氷河は、山腹にできるものを指します。今、日本で氷河と認定されているものはこれです。内蔵助(くらのすけ)氷河(「発見!日本の氷河を歩いてみた」参照)は山腹氷河のなかでも「圏谷氷河」と呼ばれるタイプです。(3)岩石氷河は、氷を含む累々とした岩石の塊で、ごくゆっくりと斜面を動くもの。内蔵助氷河の圏谷にも小さな岩石氷河がいくつかあります。
今、地球上にある氷河は、約11万年前に始まり約1万1000年前に終わった最後の氷河期(最終氷期)を経て残されたものです。氷河の定義は「重力によって常に流動している多年性の氷の塊」。簡単にいうと、陸上に1年以上存在する大きな氷の塊で、なおかつ常に流動しているものです。この「流動している」という点が重要で、雪崩のような一時的なものではなく、年間を通じて動いていることが、氷河の必須条件です。(図1)
氷は約30mの厚みをもつと自分の重みで形が変わる、つまり変形するのです。氷河は分厚い氷の下で起こっているこの変形によって、塊全体として動くのです。
また、常に動く氷河は氷の下の岩盤を削り、独特の地形をつくり出します。川(水)が削った谷はV字型になりますが、氷河は巨大なブルドーザーがゆっくり動くようなものなので、その谷はU字型になる。これを「U字谷(じこく)」と呼びます。(『「氷の世界」だった北半球の大都市』参照)
氷河は「地球規模の水循環」のなかできわめて重要な存在です。地球上の水のほとんどは塩水で、淡水は2.5%しかありません。しかもそのうち約70%が氷床や氷河として存在しています。
実は、最終氷期が寒さのピークを迎えた約2万年前、地球上の海面は今より120mも下がっていました。海面が下がるほどの大量の水は、氷床や氷河と形を変え陸地にありました。
先ほど「今の地球上に氷床は2つしかない」とお話ししましたが、最終氷期のピーク時には、ヨーロッパのスカンジナビア半島を中心とする「スカンジナビア氷床」やアメリカ大陸のハドソン湾を中心とする「ローレンタイド氷床」など巨大な氷床が発達していました。
スカンジナビア氷床によって、ドイツはほぼ半分が、イギリスは8~9割が氷に覆われていましたし、ノルウェーやスウェーデン、フィンランドなどは地面すら見えませんでした。カナダとアメリカの国境付近まで氷で覆っていたローレンタイド氷床は、気候が温暖になるにつれ融けて後退し、残されたのが五大湖です。
氷河を水循環のなかで考えてみましょう。海から蒸発した水蒸気が凝結して雲になって、雨か雪として地表に降ってきます。雨として直接、あるいは川となって海に戻る場合、水循環としては一番短くて数日から数十日の期間です。土壌にしみ込んで地下水になると数年から数千年。サハラ砂漠では数千年前の水が蒸発しているとされています。高山や極地では積もった雪が氷河・氷床となり、流動し低所に達し、最後は融けて川となり海に注ぐか、直接海に達します。その循環のサイクルは、数千年から最大100万年を超える長い時間になります。
水循環は海でも起こっています。地球上の海は見た目だけでなく、海流としても一つにつながっています。これを「海のベルトコンベア」と呼びます(図2)。その動力源が氷床のある北大西洋と南極付近なのです。
北大西洋のグリーンランド周辺は、海の水の蒸発がとても盛んなわりに陸地には大河がないので淡水の供給が少なく、塩分濃度が高くなっています。また、南極大陸周辺では、海氷ができるときに、塩分濃度の高い、冷たくて重い水ができます。こうした冷たく塩分濃度の高い海水が海の底層や中深層に潜り込むのです。北大西洋と南極は言うなれば海のベルトコンベアのエンジンで、そこから地球をぐるりと回った水が表層に出てくるのは北太平洋です。一周するのに2000年かかるといわれています。
このように水という液体だけでも、10日間から数千年までさまざまな時間スケールの循環があります。氷という固体の水の循環は、氷河では数万年、氷床では100万年に至る長いスケールとなります。まさに悠久の水循環といえます。
南極やグリーンランドを覆う氷床から掘削して取り出した筒状の氷を「アイスコア」(氷床コア)と呼びます。アイスコアには過去の地球の気候と環境の変化が封じ込められており、その変化を解明するうえで重要な試料になっています。南極は気温が低いので、空気の成分や地球のさまざまな環境を起源とする物質が化学的に変質することもなく、安定して保存されています。南極のアイスコアは連続性の高いきわめて優秀な「地球環境のタイムカプセル」です。
南極で日本隊は、1984年(昭和59)に700m掘って9400年前までの氷を、1996年(平成8)に2503m掘って34万年前までの氷を、2007年(平成19)に3035m掘って72万年前までの氷を、それぞれ取り出しています。
そして今、私の後輩たちが「地球最古の氷を掘ろう」と新たなプロジェクト「第三期ドームふじ計画」を進めています。目指すのは100万年前の氷です。2019年(令和元)11月12日に出港した南極観測船「しらせ」には、2021年の掘削開始に向けて新基地の建物を積み込んであります。
なぜ100万年前の氷を掘り出そうとしているのか。それは約77万年前の地球で起きたN極とS極が入れ替わる「地球磁場の反転」の年代をしっかり挟み込み、その前後でどのような環境変動があったのかを解き明かしたいからです。
実は、日本はこの分野で最先端を走っています。100万年前の氷を取り出すことは他国から見たら垂涎(すいぜん)のプロジェクトで、しかも続々と現れている若くて優秀な日本の研究者が担っています。未知なる分野への探検的な知的好奇心を優先しがちな私たちの世代が引退して、真摯にサイエンスに取り組む若者が出てきた。どのような新たな発見があるのか、わくわくしています。
北極のアイスコアが遡れるのは最大でも20数万年前ですが、南極よりも積雪量が多く、年層が厚いので、黄砂など北半球の気候イベントがよくわかります。北極と南極のアイスコアを比べることで、地球の気候変動がよりくわしくわかるのです。
ちなみに「地球環境のタイムカプセル」は、氷のほかに年輪を刻む樹木、湖の底の堆積物、鍾乳石などがあります。福井県の水月湖の年縞(ねんこう)は花粉や黄砂、プランクトンの死骸をよく保存していて、環境の変化の研究や年代特定に使われています。(「氷期の周期と気候変動」参照)
気泡として氷に閉じ込められている昔の空気を分析してその時代の温室効果ガス、例えばCO2やメタンの濃度を調べたところ、CO2の濃度と気温の変化が密接に連動していることがわかりました。(図4)
CO2の観測は、カリフォルニア大学がハワイで連続観測を始めた1957年(昭和32)が最初です。気象観測のデータも100年前からですし、古文書を調べても断片的な情報しか得られませんでした。その点、アイスコアなら、さらに古い時代に遡って気候や環境を調べることができます。
過去数十万年のCO2濃度は200ppmと300ppmの間を変化していましたが、産業革命以降増加を続け、今では400ppmを超えています。過去数十万年にはなかった高い数値です。しかも、年間1ppmほどの濃度上昇だったのが、最近は年間2ppmを超える上昇になっています。つまり原人以降の人類が体験したことがないような高濃度なCO2のなかで私たちは生きていることになります。
地球は、過去40万年は氷期と間氷期が10万年周期でした。そのうち氷期は7万~9万年、間氷期は1万~3万年で、氷期の方が圧倒的に長い。そして今は間氷期になって1万1000年経ち、温暖のピークも過ぎて寒冷化している時期ですので、次の氷期が来てもおかしくはない。
極地研究所の南極・北極科学館における解説や講演などで「地球がこれから寒くなるのだったら、むしろ温暖化して相殺した方がよいのでは?」という質問をよく受けますが、それは間違っています。間氷期から氷期に移行するスピードよりも温暖化のスピードの方がはるかに速いからです。
間氷期から氷期になるときは1万年で10℃ほどのスピードで気温が低下します。しかし今の温暖化のペース(100年で1℃の上昇)なら1000年で10゚C高くなる。1万年と1000年と一桁違う。温暖化で気温は相殺できません。
また、温暖化でグリーンランド氷床が融けて、大量に淡水が海へ注ぎ込むと塩分濃度が薄まって「海のベルトコンベア」が停止するという論文が20世紀の終わりに発表されています。イギリスやフランスなどヨーロッパの高緯度地域が比較的温暖なのは、メキシコ湾流が南から暖かい海水を運ぶからですが、その海流がストップする可能性があります。温暖化が地球の寒冷化の引き金になることも考えられるのです。
このように地球環境の将来を予測するためには「温故知新」、つまり古きを温(たず)ね新しきを知ることがとても重要なのです。これからの気候変動、さらにそれに起因する氷河と水循環の変化にぜひ興味をもってもらいたいですね。
(2019年11月26日取材)