機関誌『水の文化』77号
みんな、泳いでる?

みんな、泳いでる?
【教育学】

いつまでもあると思うな、学校プール
──これからの水泳授業を考える

50m走は遅いのにクロールが上手な同級生にびっくりしたり、消毒のために浴びるシャワーや腰洗い槽の冷たさに体を震わせたり、小中学校のプール授業には意外と思い出が多いもの。ところが今、プールを廃止する学校が増えつつあるそうです。これからの学校プールと水泳教育をどう考えればよいのか、福嶋尚子さんにお尋ねしました。

福嶋 尚子さん

インタビュー
千葉工業大学 工学部 教育センター 准教授
福嶋 尚子(ふくしま しょうこ)さん

新潟大学大学院教育学研究科修士課程を経て東京大学大学院教育学研究科博士課程。2015年より千葉工業大学助教(のち准教授)。2016年博士号(教育学)取得。教材教具整備・財務にかかわる学校基準政策など学校経営改革について、現代的視点と歴史的視点の両面から研究。著書に『占領期日本における学校評価政策に関する研究』、共著に『隠れ教育費――公立小中学校でかかるお金を徹底検証』『教師の自腹』がある。

減りつつある小中学校のプール

近年、公立小中学校のプール施設を廃止し、近隣校の施設を利用したり、民営プールに指導ごと委託したりする動きが広がっています。「我が国の体育・スポーツ施設―体育・スポーツ施設現況調査報告―」(スポーツ庁・2023年5月発表)によると、2018年当時の公立小学校の屋外プール設置率は94%、中学校は73%でしたが、2021年には小学校87%、中学校65%まで減少しています。

あたりまえのようにあった学校のプールがなくなってしまう。そのことをセンセーショナルに報道する向きもありますが、ここは冷静に学校プールの現状と水泳授業の意義を見つめ直したいものです。

そもそも学校で水泳を教えるようになった大きなきっかけは、1955年(昭和30)5月に起きた紫雲丸沈没事故だとされています。泳ぎ方を知らない子どもが多数犠牲になったこの事故を教訓に、水難事故を防ぎ、安全に水と親しむための水泳の授業が広まっていきました。

一方でほぼ同じ時期、東京オリンピックに向けて競技水泳への関心が高まり、1961年(昭和36)にスポーツ振興法が制定されると、国の補助金を使って一気に全国の小中学校に屋外プールが普及していきます。これに伴い、水泳授業は水難事故から身を守るという目的から、距離や速さを競う泳力、泳法重視の指導へと傾いていきました。

教員にのしかかる多大な負担

ここで問題なのは、必ずしも小中学校の教員が泳ぎの専門家ではないことです。泳力重視の授業をするのであれば本来は教員に研修を受けさせるか、専門家に指導してもらう必要があるでしょう。しかし、公立学校にそうした予算はないので、泳ぎに関しては専門外の教員が水泳指導を行なうことがほとんどです。ある研究では、小学校教員の6割以上が水泳指導に自信がないと回答しています(下図)

さらに、水の事故を防ぐという目的からすると皮肉なことですが、学校の活動のなかでも水泳中の事故は重大事案につながりやすい。つまり教員は数十人の子どもの命を預かり、安全に配慮するという重責を担うことになります。

さらにプールの維持管理もまた、教職員に任されています。シーズン前の水槽の大掃除に始まり、毎日の点検や水質チェック、薬剤投入、あるいは子どもたちの健康状態の確認など、水泳授業を行なうための業務は煩雑です。万が一、何かが起きた際には、管理責任を問われることもあるのです。実際、プールの水を出しっぱなしにした教員が自治体から損害賠償を請求されるというニュースも話題になりました。

教員が置かれている現状を考えても、今の公立学校教育のしくみのなかで学校プールを維持しつづけるのは、かなり無理があるように思われます。

図1 自分の指導力に自信がある 図2 一人で教える場合の児童数は少ない方がよい 図3 理想の水泳授業を実現できているか

出典:佐藤友音・池田拓人(2019)「小学校体育における水泳授業の実態に関する研究―目標・内容・方法に着目した課題の抽出―」和歌山大学教育学部紀要 教育科学 第70集(2020),pp.109-116.(グラフは編集部作成)

見直しのきっかけは経年劣化とコロナ禍

では、なぜ今のタイミングで学校プールの見直しが進んでいるのでしょうか。その理由の一つが施設の老朽化です。1960年代に大量に造られた屋外プールは50年以上を経て劣化しており、建て替えか、大規模な改修が必要です。しかし、プールの建て替えには億単位のお金がかかるとも言われ、また維持するにも費用がかかります。学校によってはまだトイレが和式だったり、教室にエアコンが設置されていなかったりするなか、わずかな期間しか使わないプールを優先することが妥当なのか、多くの自治体が検討を始めたのです。

また、コロナ禍も大きな契機になりました。コロナ禍では学校の行事や活動は著しく制限されましたが、その結果、各学校で従来の教育内容の見直しを行ない、コロナ禍後も運動会を半日行事にしたり、卒業式の来賓挨拶を省くといったスリム化を進めています。

その流れで見ると、水泳の授業は時間と労力がかかるうえ、天候にも左右される。水泳がなくなればそのリソースを他の運動や教育活動に充てられ、プールの維持管理や水泳授業における教員の負担も軽減されます。小学校では今、英語やプログラミング教育が必修になり、ほかにも教えるべき項目が増えています。その分、何らかの教育活動を減らす必要があり、教員の働き方改革の観点からも、負荷の大きい水泳が今、その候補に挙がっているわけです。

これからの水泳教育に必要なのは「対話」

今後、これまであたりまえだった1学校1プールを維持するのは難しくなるでしょう。これからの水泳教育は、水泳の授業とプール施設を切り分けて考えることが大事だと思っています。

水難事故を防ぐという目的に立ち返れば、学校にプールがなくても適切に指導する方法はあるはずです。実は学習指導要領において、水泳の実技指導は必修ではありません。小中学校とも、「適切な水泳場の確保が困難な場合にはこれを扱わないことができるが、水泳の事故防止に関する心得については、必ず取り上げる」とあります。

私は新潟市内で育ちましたが、近くを流れる阿賀野川は水量が多く、泳ぎが達者でも危険なので、誰も近づこうとはしませんでした。大河川の多い新潟は洪水などの水害が昔から多く、子どもたちは水の危険性を学校や地域の人に教わっています。水との関係性はその土地によって異なるわけで、地域ごとに授業の内容は違っていいのかもしれません。ICTが発達した今だからこそ、実技がなくても動画やCGを使って、水の危険性や注意点を効果的に教えることは可能です。

ただし、水と安全に親しむ機会として水泳の実技授業の意義は大きく、プールがないためにそれが受けられない状況は好ましくありません。理想的な解決策は、各校のプールを廃止する代わりに自治体が公営プールを新設し、近隣の学校が順番に利用する形でしょう。授業以外の時間帯を地域住民に開放すれば効率よく活用できます。

もちろん個々の自治体で状況は異なり、そう簡単に実現はできないでしょう。さらに学校プールは、地域の消防水利や生活用水としての役割を担っている場合があり、学校の事情だけでプール存続の可否を決定するわけにもいきません。

そこで今必要なのは、さまざまな立場を超えた対話だと思います。学校、保護者、自治体、地域などが学校プールの現状に関する情報を共有し、問題点を把握したうえで、子どもたちにとって有用な水泳授業のあるべき姿を一緒に考えていくことが大切ではないでしょうか。

(2024年4月10日取材)

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