機関誌『水の文化』77号
みんな、泳いでる?

みんな、泳いでる?
【身体教育・社会学】

なぜ180種もの泳ぎ方が?
──日本泳法の一流派「水府流水術」を訪ねて

日本には連綿と受け継がれている泳ぎ方があります。川や湖、海など地域それぞれの水域に適した形で発達した「日本泳法」です。現在は13の流派が存在します。そのうちの一つ、茨城県水戸市で継承されている「水府流水術」の歴史的背景をお聞きし、泳法の一部を見せていただきました。

水府流水術の代表的な泳法の一つ「一重伸」

水府流水術の代表的な泳法の一つ「一重伸」

年齢にかかわらず生涯続けられる

横向きで水面から顔を出し、足は水を挟み込んで押し出すような「あおり足」で進む。下の手を水中で前に伸ばし水をかく。茨城県水戸市に江戸時代から伝わる日本泳法の一流派、「水府流(すいふりゅう)水術」の代表的な泳法の一つ「一重伸(ひとえのし)」だ。

水府流水術協会が、子どもたちと成人を対象に毎週、那珂川(なかがわ)べりの青柳公園屋内プールで水府流水術の教室を開いている。

同協会の樫村幸治(こうじ)さんは水戸市水府流スポーツ少年団の団長として子どもたちを指導する。樫村さんはスイミングスクールに通って競泳選手を目指していたが、小学校4年生のときに断念する。競泳をやめたことを知った担任の教師に日本泳法大会への出場を勧められ、水府流水術を始めた。

「他の運動はダメでしたが泳ぐのだけは得意でしたし、また水泳が続けられると思って。日本泳法は競泳と違いタイムを競うものではありませんから、水府流も年齢を問わずにできる生涯スポーツです。42年続けていますが、まだ極めたとは思っていません」と微笑む。

日本泳法大会は、全国各地の日本泳法の流派が集い、「形」で競い合う得点競技が中心の大会だ。

水府流水術の場合、「伸(の)し泳ぎ」を基本とし、横向きの「横体(おうたい)」、平泳ぎに似た「平体(へいたい)」、立ち泳ぎの「立体」、さらに「飛込」「潜水」「浮身(うきみ)」に大別されるが、細かく分けると180種類に及ぶ。なるほど一生をかけて極めるに値する泳法だ。

それにしても、なぜ180種類もあるのか。その謎は水戸の土地と歴史に潜んでいる。

  • 水府流水術を育んだ那珂川。かつてはもっと遠浅で、川のなかほどまで立ち込むことができたという

    水府流水術を育んだ那珂川。かつてはもっと遠浅で、川のなかほどまで立ち込むことができたという

  • 那珂川のほとりにある「水府流水泳道場跡」の石碑。上流と下流では流れの速さが異なるため、泳法にも違いがあった

    那珂川のほとりにある「水府流水泳道場跡」の石碑。上流と下流では流れの速さが異なるため、泳法にも違いがあった

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  • 水府流水術協会の樫村幸治さん。水戸市水府流スポーツ少年団の団長を務める

    水府流水術協会の樫村幸治さん。水戸市水府流スポーツ少年団の団長を務める

  • 水府流水術の教室に参加している子どもたち。これからの日本泳法の担い手となる

    水府流水術の教室に参加している子どもたち。これからの日本泳法の担い手となる

一重伸 ひとえのし

水府流水術の代表的な泳法の一つ「一重伸」。体が上下動せず伸びが長い、ゆったりと余裕のある泳ぎが理想とされる

  • 一重伸
  • 一重伸
  • 一重伸
  • 一重伸
  • 一重伸

国を守るために必要だった「水術」

城下町の水戸は北に那珂川が流れ、南に千波湖(せんばこ)が広がり、東の太平洋も遠くない。水戸という地名が表す通り、「水の出入り口」となる土地だ。しかも江戸時代の千波湖は今の5倍の大きさだったという。したがって、国を守るためには戦国時代から「水術」に長けた人材が必要だった。

「橋などないですから合戦で伝令を走らせるのに川や湖を泳げなければ役目を果たせません。古くから水泳が発達したのは地理的要因がまず大きい」と話すのは水府流水術協会会長の山口伸淑(のぶよし)さん。

徳川御三家の一つとなった水戸は「水府」と呼ばれた。初代頼房、二代光圀以来、代々の藩主のもとで水泳術が発達する。「為政者の庇護・奨励と、泳ぎを指導する人的資源の豊かさも、水府流水術が長く継承されてきた要因です」と山口さんは明かす。

180種類の泳ぎの型には、それぞれ理由がある。例えば横体の「たぐり伸」は、張り渡した綱をたぐりながら泳ぐ伸し泳ぎだ。立体の「両抜手」は、水面から飛び上がって少し先を見たり、船べりや岸辺・小岩に飛びつく際の動きを形にした泳法。底が浅い、流れが急、障害物が流れてくる──川や湖の佇まいは場所によって異なり、なおかつ移り変わる。また、武器や荷物を身に着け運びながら泳ぐ必要もあった。「自然環境や目的に合った泳ぎ方が根づき、少しずつ変わりながら伝承されたのだと思います」と山口さんは言う。

多様な環境の水域に囲まれた水戸という土地で、身を護り安全に水を渡るための泳法が豊富なバリエーションを生んだのは、当然の成り行きだったに違いない。

  • 1956年(昭和31)の水府流水術の稽古場風景。かつてはこのような稽古場がいくつもあった 提供:水府流水術協会

    1956年(昭和31)の水府流水術の稽古場風景。かつてはこのような稽古場がいくつもあった
    提供:水府流水術協会

  • 水府流水術協会会長の山口伸淑さん

    水府流水術協会会長の山口伸淑さん

  • 水府流水術協会副会長の荒川伊望さん

    水府流水術協会副会長の荒川伊望さん

甲冑およぎ

樫村さんが披露してくれた「甲冑およぎ」。水府流水術の場合、鎧と兜のみならず袴をはき、籠手や脛当も装着しているので裸身に比べて20kgほど重くなる。難易度は高いが樫村さんは見事に泳いで見せた。左半身を上にして泳ぐのは脇差を落とさないため

  • 甲冑およぎ

  • 甲冑およぎ

  • 甲冑およぎ

  • 甲冑およぎ

  • 甲冑およぎ

小抜手 こぬきて

数ある水府流水術の泳法のなかで、もっとも動作が速くリズミカルに泳がなければならないため、修得が難しい泳ぎの一つとされる「小抜手」。クロールに似ていてバタ足も使うが、左右交互に小さなあおり足を素早く使うのが本来の泳ぎ方

  • 小抜手

  • 小抜手

  • 小抜手

  • 小抜手

  • 小抜手

立泳 たちおよぎ

水底に足をつくことなく静止する「立泳」。水府流水術には踏み足、あおり足、巻き足などいくつもの形がある

立泳

継承の場はプールへ 遠泳大会も復活

明治時代の廃藩置県後と終戦の直後に一時的に中断されたのを除き、水府流水術の教習は途絶えたことがない。「水質汚染により那珂川で泳げなくなった1963年(昭和38)頃までは、川べりの水泳場で教えていました。ピーク時には7つの水泳場に生徒が6000人以上いました」と山口さんは振り返る。

那珂川の水泳場が順次、閉鎖になったのは、ちょうど小学校にプールが設置されはじめる時期だった。1970年(昭和45)には、青柳公園に東洋一といわれた6面の巨大な屋外プールが完成した。同年、主要な水泳場の師範が大同団結し、那珂川で練習できなくなっても水戸に伝わる日本泳法を後世へ受け渡すべく、水府流水術協会が設立された。こうして水府流水術の指導はプールで行なわれるようになる。

しかし、那珂川でまったく泳がなくなったわけではない。1947年(昭和22)から5カ所の水泳場の主管で毎年開催されていた「那珂川遠泳大会」は、1963年に中止されたが、河川環境の改善により、1991年(平成3)から再開された。水府流水術協会も主催団体の一つだ。千歳橋から水府橋までの3.5kmを平泳ぎ、横泳ぎで隊列を組んで泳ぐ。

同協会副会長の荒川伊望(いさみ)さんは遠泳大会についてこう話す。

「参加者には水府流水術の練習生も多いです。どこが深くて流れが速いかを熟知した指導者が安全のため伴泳し、船で先導します。小学校4年生から参加できて、80代の方も泳がれたことがあります。水面から土手や空を見上げると、とても気持ちがいい。川を泳いで初めてわかる醍醐味です」

水府流水術協会は公営プールや小学校での指導のほか、日本泳法大会への出場に加え、審査委員など運営にも携わる。「会員が何かしらの役割を担い、日本泳法の普及に貢献しています。泳ぐだけではなく、さまざまな社会的な経験ができるのも『生涯スポーツ』たるゆえんです」と山口さんは話す。

継承の場は川からプールに移ったが、「流れ遠(とお)およぎ」として江戸時代に始まった那珂川での遠泳は今も続く。さらに、水域に応じて育まれた日本古来の泳法は、時代を超えて今なおそれぞれの地域で受け継がれている。

  • 取材や撮影にご協力いただいた水府流水術の教室参加者。都内など県外から毎週訪れる人もいる

    取材や撮影にご協力いただいた水府流水術の教室参加者。都内など県外から毎週訪れる人もいる

  • 毎年夏に開催される「那珂川遠泳大会」

    毎年夏に開催される「那珂川遠泳大会」 提供:公益財団法人 水戸市スポーツ振興協会

平伸 ひらのし

一重伸を平体(水面に対して平ら)にした泳ぎ方。平泳ぎにも見えるが、顔は上げたままで、足はあおり足で進む。海藻や藻がある浅瀬を泳ぐときに有効な泳法

  • 平伸

  • 平伸

  • 平伸

  • 平伸

  • 平伸

亀浮 かめうき

頭と両手両足を水面から出す「亀浮」。浮身の一種で、その名の通りカメが甲羅から頭や足を出す姿に似る。自分の体の重心をきちんと把握し、脱力も必要な浮身は実に難しい。水府流水術には「浮身36体」と呼ばれる36の形を中心とするさまざまな浮身がある

亀浮

(2024年5月12日取材)

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