〈水の都〉と呼ばれた江戸・東京。網の目のように運河や水路が張り巡らされ、物資の輸送に水運が使われていましたが、陸上交通の発達に伴い、しだいに姿を消していきました。しかし、都道や首都高になってもかつての運河の姿がわかる「三吉橋」からの眺め、川床を活用して公園となった「築地川公園」など、今でも運河の跡をたどることができます。また、「住吉神社」の裏手には、現在も部分的に江戸時代から続く運河が残る佃川支川があり、埋め立てられずに残っている運河を見ることができます。さらに、明石町一帯は多くの史跡が残り、江戸時代から連綿と続く〈水の記憶〉だけでなく、水辺とともに生きたかつての人々の暮らしぶりまで思いめぐらすことができるプログラムです。
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第20回里川文化塾 埋め立てられた運河から水の記憶をだどる
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開催レポート「第20回里川文化塾 埋め立てられた運河から水の記憶をだどる」
http://www.mizu.gr.jp/bunkajuku/houkoku/020_20150926_mizunokioku.html
「川がない橋が秘めた東京の履歴」(機関誌『水の文化』47号)
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no47.html#08
「商人の港、日本橋界隈」(機関誌『水の文化』25号)
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no25.html#03
タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)
"http://www.city.chuo.lg.jp/bunka/timedomeakashi/