日本においては、お茶は水の文化を形成してきた有力な要素の一つでした。しかも『水の文化16号』でも取りあげた通り、お茶は単に「飲む」だけではなく、共に飲むことで「コミュニケーションを生む」という文化飲料ともいうべきものです。そのお茶について、「茶事の儀式やコミュニケーション」という側面から、戦後日本の女性の変容を描いているのが加藤恵津子さんです。 今回は、加藤さんに、なぜお茶が女性のものになったのか、自著にも書けなかった点を含めてうかがいました。
国際基督教大学国際関係学科助教授
加藤 恵津子 かとう えつこ
カナダ・トロント大学大学院博士課程修了(言語・記号人類学)。
主な著書に『<お茶>はなぜ女のものになったか』(紀伊国屋書店、2004)他。
お茶の「嫁入り修業仮説」の現実とのギャップに気づくもともと私の専攻は言語学だったのですが、修士課程の頃、言語だけを見つめるのが、つまらなくなってしまって。言葉は生きていて、日常生活で使われるものですから、その使われ方とか、「言葉を控える」ということも含めた、人間の言語使用・非使用を見てみたいと思ったんですね。
お茶の「嫁入り修業仮説」の現実とのギャップに気づくそこで、カトリックの儀式と、お茶会(Tea Ceremony)という儀式を比較すると、おもしろいと考えたわけです。たまたま、妹が大学の茶道部に入っており、妹の文化祭で「野点」に参加したことがあった。野点も、式次第がはっきりし、逸脱が許されないという点で、カトリックの儀式に通じるものがあると思ったんですね。
お茶の「嫁入り修業仮説」の現実とのギャップに気づく論文に書こうという魂胆で、近所の先生の扉を叩き、お茶を習いました(笑)。それがお茶との出会いでしたね。カトリックの儀式と異なる茶事の特質は、「言葉は控える」ことです。そして、濃茶や懐石料理を出すという「行為」が大事にされる。では、亭主がお客様に気持ちをどう伝えるかというと、道具の取り合わせや、お菓子の形や銘、色等、「物」を通して、暗黙のうちに気持ちを伝える。この点がカトリックの儀式と違う所でしたね。
このような経緯で研究を始めましたので、人間が、言葉や言葉以外のもので、どのようにメッセージを伝えるか(記号論)を博士課程で勉強したいと思い、留学先を探しました。英語圏では、この分野が勉強できるのはカナダのトロント大学だったのですが、「記号学の大学院生用プログラムはまだ整っていない。ただ、人類学科に事実上記号学者がいる。彼なら紹介できるよ」と言われ、それまで専攻したことのない人類学科に入ったわけです。
すると、フィールドワークは絶対に修めねばならない技術なんですね。私はびっくりして、「いや、自分はもう日本で、もう20何年か生きてきたから、日本のフィールドワークは済んでいるんだ」と言っても聞き入れてくれない。「駄目だ、ちゃんと学問としてもう1回自分の国に行ってこい。せっかくお茶というテーマで誰も書いたことのないものを日本で書いたのなら、それをテーマにすればよい」と送り出されたのです。
確かに、自分のそれまで書いたものを振り返ると、人があまり出てこない。式次第や道具が中心で、建前が書いてある文献等を使って分析をしていたわけですね。でも、フィールドワークは、現場の人の言うこと・することを見てこなくてはならない。家元が表向き言っていることと違うことを、教えを受けている人は行っているかもしれない。意地悪ですけど、そのギャップを見ないと学位がもらえない。
そこで、当時の私は、「お茶は若い女性の嫁入り修行」と思っていたので、「お茶は若い女性のもので、それはなぜか」と問題を立てたのです。
ところが、日本に帰り、自分のかつてのお茶の先生にそのことを話しましたら、「若い人のクラスねえ・・・」と、ちょっと考えこんでいる。少々の事例はあったんですが、「お嫁に行ってやめた人が、知り合いの先生のところにいた」とか、つかみどころのない話で、こちらがびっくりしてしまいまして。「では、他の女性は」とたずねると、「みんな中高年の方よ」と言うわけです。
「嫁入り修業仮説」がそこで、崩れてしまった。ただ、逆にこれが現実ならば、「なぜ、中高年の女性がお茶をするのか」そして、それにもかかわらず「なぜいまだに世間では若い人の嫁入り修行という語りが存在するのか」(一部の人は実際に、20代とか30代前半でいらっしゃいますし)という疑問が新たに生まれてきたわけです。
一般的に、お茶の世界は、建前と現実のギャップが結構あります。例えば、お茶をやっている人は、やっていない人に、「今度茶会に来て。気軽に」とか言いますよね。「作法ができなくてもいいから」と言われて、いざ行くと、恥をかくようになっている(笑)。
カナダに留学している時も、ある日本人の方が、お茶会のデモンストレーションをしていました。見ていると、舞台上で、カナダ人のお弟子さんがお客様役で座り、日本人女性が亭主役で座っている。亭主は、体の側面をお客様に向けて点てますから、お客様役のカナダ人の女性は亭主の横顔を見ながら、にこにこして話しかけるのに、亭主は客の顔を見ないで、答える。これを第三者として見ていたら、何か冷たい感じがしまして、あまりユニバーサルなホスピタリティーを感じなかった。
そのお茶のパフォーマンスの舞台が終わった後、「では、客席のお客様にもお茶をお配りします」と言った時、半分以上の人は帰ってしまいました。つまり、楽しくなかったんでしょうね。亭主は「もてなし」と言っても、お茶の心得がない人や異文化の人とコミュニケートする時には、相手をシャットアウトしているように見えてしまう。このギャップは、研究テーマとしてはすごく面白い。この二つのことから、茶道は、「お客様のため」と言いながら、究極的には「点てる人のため」にあるのではないか、という発想を得ました。
そこで女性とお茶の関わりを調べ始めますと、女性が「作法」を学ぶ手段・機会としてのお茶は、明治時代に始まります。女学校の科目として、いくつかの学校で始まった。有名なのは跡見女子学園で、創立者の跡見花蹊が、「お茶を学んでいる人の方が、自分の振舞い方を知っているように私は思う」というような内容を言い、女子学生たちに、正式にお茶を学ばせたわけですね。
ただ、それが、本当に大衆、一般の女性にまで広まるには、やっぱり戦後を待たねばならなかった。女学校に行ける人なんて、女性の中の一握りですから。もちろん、近所の先生のところに行って、お茶を習う人々はどんどん増えていったとは思いますが。
戦後になると、華族令も廃止され、市民の平等化が進み、お茶の大衆化が進みます。高度経済成長も始まり、普通の人の所得も上がり、家電も普及した。元特権階級の大衆化と、大衆の格上げが同時に起きたのが戦後ですね。
そして、高度経済成長期には、男性のサラリーマン化と、女性の主婦化が起こります。戦前の多くの女性は、例えば農業や自営業の従事者で、「専業」主婦にはなれなかった。しかし、戦後、サラリーマンと主婦というペアが大量に生まれる。主婦は、子育てには大変でしょうが、子供の手が離れれば少し時間もできる。お金もないわけではない。そういう時間と金銭の余裕という条件が揃っていきます。多くの趣味がこの頃栄えたと思うのですが、その中で、お茶は、他の趣味に比べて、特異な趣味だったと思うんですね。
というのは、主婦になるためには、女性は結婚しなくてはならない。結婚するためには、自分に付加価値をつけておかないといけないわけですね。その時に、テニスなどを習うよりは、おそらく戦前から女性が結婚前に修めてきたものが、特別な価値を持っていたと思うんですね。
それで、お茶やお花、お琴などの先生がいらっしゃったわけですが、どれも家庭生活との連想が強いものですね。飲食物の世話をするのは女性の役目であると思われていて、料理ができて、お茶を点てられて客に出せるというのは、主婦、家庭人として、非常に価値の高いこと。そんな連想があり、女性が結婚する前の趣味として価値が上がっていったのでしょうね。
お茶に期待された役割とは、結婚−家族規範の文脈なのか、就職規範の文脈なのかと訊かれると、第一義的には結婚−家族規範だと思います。でも、二番目に就職規範とも関係あると思います。なぜかというと、多くの方は結婚する前に数年働き、たいてい職場結婚されている。あるいは、もう少し前の世代ですとお見合い結婚もある。就職というのは、結婚するための相手に出会う場所だったとも思います。
私の父から、かつて使われていた「BG」という言葉を聞きました。Business Girl(会社の「女のコ」)です。BG(後の言葉でいうOL)が、会社にとってどういう存在だったかというと、男性社員の配偶者になるストックなんですね。ですから、会社の方としても、お茶が淹れられる女性、あるいは、職場に花を持って来ていけてくれる女性は、普通だったそうですね。会社のお客様へのもてなしにもなるし、将来の自社男性社員を支える奥さんにもなる。そういう女性社員が必要だったんですね。
ですから、高度成長期はどこの会社にも茶道部があったそうです。例えば5時になって、女子社員さんが、「では、お茶のお稽古がございますので失礼します」と上司に言ったとしても、上司は絶対に怒らない雰囲気があったと聞きますね。そういう人は、きっといずれは、男性社員の誰かの奥さんになって、戦士を陰で支えると思われていた。そういう意味では、お茶は結婚−家族規範と就職規範と見事に結託しているわけです。
少なくとも、そういう結託が自然であるという気持ちは、男女雇用機会均等法の施行(1986年)までは続いていたと思います。
私が思うに、趣味をすることで女性が手にいれる文化資本は、茶道に似ているものと似ていないものとに分かれると思います。茶道に一番似ているのは、生け花。明らかに、ハイカルチャー(高尚文化)に入る。
お茶は、歴史的に見ても、千利休みたいな、富裕な商人が始めたものですね。それが、武士などの政治的な支配層にまで広がった。江戸時代の武士にとっても、たしなみのようになる。社会の中での富裕層が行ってきた長い歴史があるという点で、ハイカルチャーというのは、誰からも文句を言われない。さらに、お茶をたしなむ人は、社会の中の富裕層と関連のある人ではないか、と人々から想像される人になる。実際にその人がそうであるかは関係なく。そういう意味で、ポジティブな連想を手に入れることができる。これが文化資本の種類の一つです。
さらに、その中でも、生け花と茶道の相違が注目されます。私は、茶道の場合は、知識と勉強がついてまわるという点で、生け花と違う気がします。生け花ももちろん勉強はありますが、茶道の場合は、道具をめぐってその歴史的背景が言えないと話にならない。掛軸の字句も読めなくてはなりません。そうしますと、そのために、知識を得るために勉強するということは、学校で学ぶことに似ているんですね。ですから、学校に行っている人が社会で知識という資本をより多く持つように、お茶の道に入り、道具の勉強をしている人というのは、そういう勉強をしていない人よりも、知識という資本をより多く自分の中にためていることになる。この種類の文化資本も得る過程が社会の中で認められているかどうかが、生け花と違うところではないかと思います。
エンパワーメントという言葉は、いろんな人が使い意味が広いんですが、パワーを得るという意味ですね。このパワー言葉も、例えば政治的な権力、経済力といろいろあります。私がここで言う、女性のエンパワーメントのパワーは、他人のパワーに振り回されなくなることです。
例えば字が読める識字力(リテラシー)。字が読めることを、私は1つのパワーだと思うんです。つまり、読めない人は、例えばまわりの人の嘘を信じて、契約にサインをして、自分が売られてしまうという問題が第三世界で起こっていますが、識字がないと、どんどん社会の弱者に転落してしまう。字が読めると、世の中の仕組みがわかって、より他人に振り回されなくなる。さらに、自分の意見を社会に表明し、社会からの認知を得ることもできる。
私は、お茶を通して得るパワーというのは、この識字と似ている気がします。
まず、お茶を習っている女性の方は、もちろん歴史的な知識とか、建築の知識とかいろんな知識がある。しかも、家元制度に関する現実の知識も、皆さん知っている。旧支配層と結び付くことで、家元制度が、どうやって再生産されてきたかみなさんわかっている。これ以外にも、お茶を通して、世の中の仕組みがわかる。そして、他人に振り回されなくなるということは、あると思います。
もう一つは、お茶には建築とか歴史とか、禅仏教とかいろんな勉強が必要になるのですが、勉強という行為そのものが社会の中で高い価値を置かれています。ですから、それに携わることで、より高い自己評価を得ますし、社会からもそういう評価を得る。「あの方、よく勉強してらっしゃるわ」とか、「お道具についてならあの方に訊けばいい」と、まずは身近な女性仲間から評判が立つ。次第に、道具屋さんも、「ちょっとこの人は素晴らしいな」と思えば、物を売りに来る。そして「先生」という特別な認知を得たり、地域の文化祭等に呼ばれたりする。すると、どんどん社会の認知も増えていく。それがまたより高い自己評価に結びつく。いわば社会の中で目に見える存在になっていくわけで、これは、エンパワーメントと言っていいと思います。
さらに、「大学では教えないことを教えるのがお茶だ」と、ある茶道の先生がおっしゃっていました。確かに、お茶を習う以外に、こういう内容を教えられることはない。お茶をする人のユニークさは際立つわけですね。学校で教えてくれないけど、みんなが何となく日本の伝統として価値は認めている。だから、その人は社会の中で非常に貴重な存在になるわけですね。
実際の興味深い話ですが、大卒の旦那さんが定年退職後、家の中にいるのに、奥さんの方はどんどん年を経るごとに人気になって、家に何十人と弟子が押し寄せる。そこに、旦那さんが、控えめにお茶のお稽古のぞきに来たり、お弟子さんのためにおやつを用意するというケースもあります。
日本の場合、いまの茶道の原型は男性が始めたわけですね。利休や、他の堺や奈良の富裕商人達です。いわば、「お金はあるけれども、トップになれない人達」が始めたものです。
つまり戦国時代は武力をもっている武士が事実上トップだったわけですね。商人は、その下になるわけで、武力で攻められたらひとたまりもない。ただ、武士も商人のお金は必要なので、武士と商人は仲良くしたけれども。そういう意味で、商人は、お金と時間の余裕はあるけれど、支配層ではない。ということを考えた時に、実は、お茶というのは、「トップから二番目の人が、トップのグループに対抗するために始めたもの」と私は考えているんです。
戦国時代でいえば、富裕商人達の上に武士がいて、その上にお公家さん、名前だけになった将軍や天皇がいたわけですが、お公家さんや天皇、貴族化した将軍は、教養や作法はもう身につけているわけですね。一方武士の方は、下克上で、誰でも城主になる時代だけど、教養は怪しい。その武士の中には、コンプレックスを持っている人がいっぱいいた。
武力や腕力では武士にはかなわない商人達は、仲良くしていたかと思えば、時には自分達に刃を向けてくる野蛮な武士たちに対して、何か対抗してやろうと思っていたのではないか。そこで、その対抗手段として、茶道を、自分達で、擬似貴族文化として作り上げたのではないでしょうか。
歌、お作法や蹴鞠などの既存の貴族文化には、武士も商人も入り込めない。やれば猿真似になる。ということは、自分達が新しいものを作るしかない。商人達にしてみれば、お茶は、比較的手に入りやすいし、お道具は東南アジアや中国、朝鮮半島から、武士も持っていない珍しいものが手に入る。あとは、お茶を淹れて、器で出すだけではなく、「いや、実は3回まわさなければいけない」とか、「自分の身体、身のこなしのルール」を体系化して、「さあ、どうだ」と言わんばかりに洗練させていったのではないかと思うんですね。
コンプレックスを持っていた武士にしてみれば、これはありがたい。「今さら貴族の猿真似はできない」と思っていたところに、商人が「擬似貴族文化」を作ってくれたわけですから。信長・秀吉をはじめ、みんな飛びついただろうと思いますね。
―― 説得力ありますね。その武士とお茶の関係は、お話しされた主婦とお茶の関係と何か似ているところがありますね。
そうですね。実は、「封建時代に、自己実現したくても、身分の差で阻まれてできなかった人の、自己実現手段としてのお茶」と「主婦のお茶」の共通性を最初に指摘されたのは、「家元の研究」を著された西山松之助先生です。私は、西山先生の本を読んで、自分の考えたことが書いてあって、感激の手紙を書いたほどです。
江戸時代になりますと、武士はみんな少し金持ちになりますね。今度は、武士以外の人達、例えば商人の中でも、特に富裕ではない人や、工芸人、時には富裕農民の方までお茶をやったそうです。いろんな身分制度に阻まれて自己実現ができない人達が、このような動機でお茶に走る。
時代はとびますが、戦後の主婦は、今度は身分制度ではなく、ジェンダーに阻まれて、自己実現の機会がない。旦那さんも子供もみんな仕事を持っているのに、「今までの私って何だったの」と人生の後半になって振り返る。そういう女性が、こうした役割をもつハイカルチャーに走るのを、私は歴史的に見ても当然ではないかと思いますね。
(2006年2月28日)