企業も消費者も共に利益を得ることで、環境負荷を減らすことができる。このように唱えるのが倉阪秀史さんです。ただし、そのようなうまい話が、放っておいて実現できるわけではありません。いったい、どのような論理と制度が必要なのでしょうか。
千葉大学法経学部総合政策学科准教授
倉阪 秀史 くらさか ひでふみ
1964年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。87年に環境庁に入庁し、温暖化やリサイクル、企業の環境対策、環境基本法などの施策に関わる。その後メリーランド大学客員研究員を務め、98年から現職。
主な著書に『環境を守るほど経済は発展する』(朝日新聞社、2002)、『エコロジカルな経済学』(筑摩書房、2003)他。
これまでの経済学というのは、生産物を単に「生産量」という一つのものさしでしか測ってきませんでした。これでは、人間の出す廃棄物が問題化するような状況になった時にはそぐわない。
このような社会における経済学では二つのものさしで生産物は測られるべきなのです。
一つはサービス量です。サービス量の大きい製品を購入した消費者は、多くの効用を得る。だからサービス量の大きい製品は市場で高く評価される。これは従来の新古典派経済学の発想です。
さらに、もう一つ製品が評価されるべきものさしがある。それが「物理的な量」です。例えば、時計でもサービス量と物量の両方から測ることができる。時計から得るサービスとしては「時を正確に刻む」という主目的や、「デザインの良さ」などがあるでしょう。そういうサービス量は時計の重さとは関係ないですね。一方、重さで測られる時計の物量は、大きければ大きいほどごみは多くなる。それに、生産のために投じられた物的資源も多かったかもしれない。
つまり、物量は、サービス量とは異なるものさしとして設定できるはずで、環境負荷を考える時にはサービス量だけではなく物量でも測るべきではないか。これが私の発想なんです。
これは、例えてみれば、物量の中にいろいろなサービスが詰め込まれているわけで、「サービスの缶詰論」とわかりやすい名前をつけました。
もしサービス量と物量の二つのものさしで製品を評価するようになると、利潤を最大化する企業でも、製品の物量を下げる誘因が働きます。どういうことかというと、企業がモノを作る時、余計な物量を投入すると、たくさんの物的資源を買ってこなくてはなりませんし、利益に結びつかない不用物が増えるかもしれない。つまり製品の材料の物量を増やすほど、物的資源の購入代と不用物の処理費が増えてしまう。
したがって、企業は、物的資源の購入代といったコストを下げると利潤は上がる可能性がある。つまり、環境負荷を下げるための労力は、利潤最大化を目的にした企業にとっても、有利な選択肢となるわけです。
では、自らの効用を最大化する消費者についてはどうか。
たとえばリサイクルをしてごみを減らすとか、寿命を長くするようにモノを大切に使うというような「省資源のための労働」では、賃金を稼げません。でも、ごみの量は下げられる。ならば、「不用物処理費」が自分に課せられるような世界では、消費者は賃金を得る労働以外に、省資源労働に自分の時間を割くはずです。そのような制度が機能していれば、効用最大化をする消費者でもごみを減らす努力はするはずなんです。
「物量を減らすことが得になる」というメカニズムを念頭に置いて、現在の経済システムを振り返ってみますと、おかしいことがいくつもあるわけです。
まず、そもそも誰がどのくらいごみを出しているのか、あるいは、どの企業がどれだけの物量を市場に提供しているのかわかりません。農業や鉱業のような第1次産業はだいたいの量はわかるんです。生産量がトンベースで発表されますので、鉄鉱企業でも毎年何トン市場に出しているかは測れます。ところが、組み立て産業になると、物量はわからなくなる。個数、台数では発表されますが、重さではわからない。さらに第3次産業となると、ますますわからない。つまり、企業が一年間活動するのに、どれだけの資源を投入し、どれだけ市場に物量を送り出しているのかわからない。
消費者の立場から見ても同じで、自分が商品選択する上で、価格というラベルはあるけれど、物量というラベルは無い。
結局、制度が追いついていないわけです。制度を変えて、物量が見えるようなしくみを機能するようにすれば、ムダな資源が減り、ムダな環境負荷も減っていくのではないでしょうか。いま、この発想を実現するための政策提言を行っていこうとしています。
こうした持続可能な経済システムを実現するために、大きくは二つの具体的な政策の方向性があります。一つが、「サービサイズの促進」で、もう一つが「永続地帯(サステイナブル・ゾーン)」の設定です。
これまでの企業の業態は、モノの所有権を消費者に売り渡して、その対価としてお金が入るというビジネススタイルでした。したがって、企業から見ると、「消費者が無駄遣いや浪費をしてくれるほど儲かる」ということになります。
そうではなく、モノの所有権を売り渡さず、モノを使うことによるサービスだけを提供するというビジネススタイルも考えられます。これがサービサイズです。こうなると企業はモノをなかなか壊れにくいように努めるはずです。誰が使っても壊れないようなものがもしできれば、より多くの人にサービスが提供でき、企業も儲かる。当然、消費者とは「モノを大切に使ってください」というサービス提供契約を結ぶことになる。
こうした、「モノを売り渡さないビジネススタイル」つまり、所有権が移転しないビジネスが一般化すれば、もっと環境負荷は下がるのではないでしょうか。これがサービサイズの基本的な考え方です。
このようなしくみは、現在の制度を変えないと根付かない。例えばごみ処理費で説明してみます。特に家庭から出る一般廃棄物については、いまは市町村が処理責任を負っているわけですね。ですから、ごみ処理費は市町村が税金で負担する。この現行制度のままサービサイズを仮に行うと、ごみが生産者に戻ってくるので、従来は自治体が負担していたごみ処理費を生産者が負担しなくてはいけなくなります。そうすると、企業がサービサイズに移行しようという誘因が無いわけですね。もしも「一般廃棄物の処理費は、その製品を市場に出した企業が負担します」という拡大生産責任が普及すればサービサイズに移行していくことになると思います。でも、拡大生産責任については日本は不十分にしか導入していませんからね。
さらに、サービサイズが一般化すると、消費者と生産者は長いつきあいになります。「市場で一回売り渡せば終わり」というわけではなくなります。
そうすると、何が起きるか。
もしかしたら、企業は消費者を囲い込むかもしれません。例えば、携帯電話やインターネットプロバイダーと同じビジネスモデルで、「長期間契約した方が安くなります」と消費者を囲いこむことが予想されます。こうなると、消費者がいろいろな他のサービスに乗り換えるのにコストがかかり、サービサイズが魅力的ではなくなるおそれがある。最近は携帯電話の番号ポータビリティ制度のように、携帯電話番号が他の会社に乗り換えても使えるようになっていますが、そういう消費者の選択を狭めないようなビジネスルールをつくっていかなくてはいけないでしょうね。
―― 教育サービスや介護サービスなど、価格をつけにくいサービスについてはどう考えますか。
「サービスをどう値付けするのか」ということですが、真面目に事業を行っている企業は、不当廉売をしている企業に対して「あんな価格では成立しないはずだ」と言っているはずですね。それはニュースでもわかる。ですから、サービスを購入する消費者に対して、何らかのアドバイスをしたり、客観的に企業や商品を評価するようなサービスが成立する余地がありますね。消費の側にも十分な情報が提供されるようなしくみにならないと、サービスの値付けはうまくいかないはずです。現状は、サービサイズに対しての社会的制度がまだまだ足りないわけで、政策提言の余地があるということですね。
海外では、拡大生産責任の動きが広がっています。ヨーロッパでは家電でも車でも企業に持って行けば引き取ってくれます。つまり、廃棄費用を生産者が出すということで、日本の状況よりはサービサイズに移行しやすいかもしれません。サービサイズの考え方は、ヨーロッパではプロダクト・サービス・システム(PSS)という言い方で、新しい研究開発者が広がっている状態です。まさに始まったばかりでして、突き詰めると、「所有権に基づくビジネスルール」を見直さざるをえないかもしれません。
持続可能な経済システムを実現するために大事となるもう一つの概念が「永続地帯」という指標です。今後の社会を考えると、枯渇性資源に頼っていられなくなる時期はいやおうなくやってきます。百年後、二百年後を考えると化石燃料は無くなってしまう。石炭はまだまだありますが、二酸化炭素の制約が厳しくなるでしょうから、自由に燃やすことはできないでしょう。必然的にエネルギー価格は高くなっていく。そういう中で、どのように再生可能資源ベースの経済世界に移行させるのかを考えた時、途中は「枯渇性資源で維持される社会」と、「再生可能資源で維持される社会」の二つが並立していく時期が出てくるはずです。一挙に100%再生可能資源でまかなうわけにはいかないでしょうから。それに、都会は最後まで枯渇性資源でやっていかなければならないかもしれない。でも、人口が少なく自然が豊かで再生可能資源がいろいろ得られる地域が先頭をきって、再生可能資源ベースの社会に移行していくはずです。
では、どこが再生可能資源ベースの経済社会に近いか。それをわかるようにしたのが永続地帯という指標です。
日本全国で見ると、再生可能エネルギー(太陽光、風力、地熱、小水力、バイオマス)による発電量は民生用電力需要量の3.35%でたいしたことはない。ただし、これを都道府県別で見ると、実は民生用電力需要の3割以上を再生可能エネルギーだけで既にまかなっている県がある。大分県は3割を越えていて、地熱と小水力です。続いて秋田が26%、富山が23%。さらに岩手県、鹿児島県、長野県、青森県、福島県、新潟県と続きます。これを市町村ベースで調べると、76の市町村が100%、域内の電力需要を域内の自然エネルギーだけでまかなっている現状です。
よく再生可能エネルギーを評価する場合に、日本全国を単位として「微々たるものじゃないか」という前提で議論しているのを見かけますが、それはよくないですね。市町村レベルにエネルギー政策をおとしていけば、実際にまかなえているところがある。ですから、エネルギー政策を地方分権していけば、もっと自然エネルギーに予算を投入してもそれだけの効果を見込めるわけです。
水の話をしますと、日本全国の再生可能な自然エネルギー発電の6割は小水力なんです。水車による発電です。一般の目につきやすいのは風車や太陽光ですが、日本の原風景に風車はありません。水車なんです。小水力はダムを造らない水力発電で、国際的には1万キロワット以下のものを再生可能エネルギーに含めています。このような水力発電が日本の再生可能エネルギー発電の6割を占めています。
何も大きなダムを造らなくても日本は山がちですし、2mの落差があれば発電できます。降水量は欧米の3倍ですしね。そういう点では、日本ほど小水力発電に適している国はない。デンマークで「水力で発電しろ」といってもできませんからね。国情に合った自然エネルギーを選ばなくてはならない。
日本はこれまで新エネルギーに「小水力」を入れていませんでした。最近、ようやく流れ込み式の1千キロワット以下のものを入れるようになりましたが。国際的な自然エネルギーと見なされる小水力エネルギーが日本にあるということです。
東京と北海道では単位面積当たりのエネルギー使用量が100倍違う。都市のようなエネルギー需要の大きい所は、永続地帯から自然エネルギーを購入するという形で自然エネルギー普及活動に供するべきではないかと思います。東京都が2020年に20%は自然エネルギーでまかなうと目標をたてていますが、とても域内で20%まかなえるような自然エネルギー設備を入れるわけにはいきません。その際に、他の所から自然エネルギーを証書のような形で買わざるをえない。そうすると永続地帯も広がるし、都市も自然エネルギー基盤への転換に寄与できるはずですね。
(2007年6月18日)
永続地帯研究については、http://sustainable-zone.org/ をご参照下さい。