21世紀は水と食料の時代だ。水が戦略的な資源であることに多くのエコノミストが言及し始めています。こうした水資源の争いから生まれる水紛争を起こさないように、いかなる統治制度(ガバナンス)をつくるのか。これが水管理政策の大きな関心事です。 今回は、この水管理政策を専門にしている遠藤崇浩さんに、米国カリフォルニア州の渇水の折り、州政府が被害軽減のためにとった「水銀行」の制度を紹介してもらいました。
総合地球環境学研究所助教
遠藤 崇浩 えんどう たかひろ
1974年生まれ。2002年、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。 2004年より現職。
大学院の在籍中、指導教授である田中宏先生と雑談していたところ、「日本史の水争いに関心をもっている」と言うのです。もともとは経済学がご専門でコモンズの問題に関心があったのだと思いますが、私も「それはおもしろそうだ」と漠然と感じました。そんなある日、図書館で新聞を見ると、国際河川の水争いの記事が掲載されていました。私は政治学専攻で国際政治にも興味があったので「これはよいテーマ」と思ったのが、水研究に入ったきっかけです。
ちょうど同じ頃、これも図書館で『ビジネスウィーク』を読んでいたところ、偶然に「水銀行(ウォーター・バンク)」に関する記事を見つけました。渇水時に、水を売買して、渇水を凌いだというカリフォルニア州の事例です。現在いる地球研に入ってから一番力をいれた仕事は、その水銀行の制度研究です。ですから、テーマは変遷しているけれど、水という点は変わらないですね。
水をテーマにする前、私は「小さな政府」と「大きな政府」の比較、言い換えると「政府の役割と市場の役割、その線引きをどうすればいいのか?」という、古典的な課題を理論的に研究していました。そこから、水銀行にテーマが移ったわけですが、水銀行は渇水時に、水の配分をめぐって、政府が前面に出た方がよいのか、それとも市場を活用した方がよいのかという問題と捉えることができます。水銀行の研究は、これまでの理論的に行ってきた研究枠組みを、水の管理という現実問題へ適用する試みと捉えています。
水銀行とは米国カリフォルニア州で行われた制度事例です。1987年から92年に、カリフォルニアは大規模かつ連続的な渇水に襲われました。カリフォルニアの年間の平均降水量は500ミリ。日本は1700〜1800ミリ位は降りますから、日本の3分の1程度しか雨が降りません。平常でも小雨なのに、そこに渇水がおきたわけです。
最初に考えられた対策は、非常事態宣言を出し、水を余っている所から足りない所に強制的にまわすというものでした。でも、それをやると、おそらくは非常事態が終わった後、方々から裁判を起こされて、州政府は莫大な費用を支出しなくてはならないだろうということが予想されました。例えば州内の水利用者が、「農業をやりたかったのに、州政府は勝手に水を持っていった」と言って、裁判を起こす可能性があったのです。その場合の補償や裁判費用は膨大になると見込まれました。
そこで州の水資源局(DWR:Department of Water Resources)の渇水対策チームが提案したのが「水銀行」です。まず水資源局が「1エーカーフィート(約1,233立米)の水を125ドルで買う」と宣言しました。すると、比較的低価格の農作物を作っている方のなかには、「水を売ったほうが得だ」ということで、水を売るという人がでてきました。カリフォルニア州には用水区(Water District、以下WD)や用水組合(Water Agency、以下WA)と呼ばれる水利団体がありまして、大規模な貯水池を持っていたりするようなところもあります。その貯水池の水に余裕があるところは、それを緊急に売るということもありました。そしてDWRは買い集めた水を、今度は1エーカーフィートあたり175ドルで売りました。南部を中心にその価格でも水が欲しいという団体が主な買い手となりました。
この制度は取引価格を固定していたことからもわかるように、水の完全な自由市場ではありません。変動価格にすると、「あっちは高く売れたのに、なぜうちは安いのだ」といった不満が起きたり、「まだまだ値段があがる」と売り控えが起きる恐れがあります。それでは緊急に水がほしい時に、水を確保できないという本末転倒な結果になってしまいます。水の買い取り価格と販売価格の違いをみてもわかるように、固定とはいえ、価格を指標に自発的な取引を促すことで、渇水により希少度が高まった水が需要の低いところから高いところへ配分し直されました。需要の強弱を考えずに強制的に一律カットしたならば、渇水による損失がさらに拡大したと推測できます。
一つ注意すべきは、この水銀行のしくみは基本的に水利権市場のそれと同じとはいえ、両者は似て非なるということです。水銀行では1991年の水利用が1回限定で取引されたにすぎません。水利権の売買ですと、取水の場所や、量とか期間が永続的に変わることを意味します。しかし、この場合は、特にそれら水利用の基本的な条件は変わらず、ある年の水利用だけが売買されました。いわば「水の一時的なレンタル」といったところです。
私がこの制度に興味を持ったのは、一時的な転用とはいえ、水の配分に市場メカニズムの要素を取り入れたという点、それと、市場メカニズムの導入時に、どのような制度的基盤があったのかという点です。「政府と市場の役割分担」というテーマを研究していた際、政府が取引ルールや財産権制度を作らないと、市場メカニズムは機能しないことを学びました。水銀行ではこの点はどうなんだろうと思ったわけです。
その前に説明しておかねばならないのは、カリフォルニアの水事情です。カリフォルニアには北のほうにサンフランシスコ、南のほうにロサンゼルスの二大都市があります。カリフォルニアでは自然流出量、つまり雨として降ったもののうち河川として流れ出る量のおよそ75%が州の北3分の1に偏り、他方、水の需要の約75%は州の南3分の2に集中しています。このずれを埋めるため、「カリフォルニア導水路(California Aqueduct)」に代表される巨大な導水路をつくって、北部から南部へ水を運んでいます。カリフォルニア導水路の全長はおおよそ800キロで、日本にあてはめれば、琵琶湖の水を青森で使うようなものです。しかも途中1千メートルの山越えをします。そうまでして、ロサンゼルスを中心とする南部の大規模な需要地に水を運んでいるわけです。ロサンゼルスの年間降水量は300ミリしかないのに、1,000万人を越える人々が住んでいる。水の需給だけを考えると、どう考えてもおかしな所なんです。
そのような場所で、水銀行を通じて、どうやって、水のような動くものを売り買いしたのか知りたくて、現地取材も行いました。結論からいうと、水銀行は個々人の取引ではなく、WDやWAといった大規模水利団体同士の契約で、その取引をスムーズにするために州政府機関であるDWRが仲介の役割を果たしたのです。そして水は先に述べたカリフォルニア導水路を通じて南部へ運ばれました。WDやWAは水の卸売りとでもいうべき役割を果たしており、取引を通じて購入された水は、さらにその傘下にある団体を順次通して個々の利水者に届けられたのです。結局、一人一人では交渉がまとまらないので、団体単位で交渉したのでしょうね。
――日本の場合、このような利水調整を行う場合、水利権が問題になりますが、アメリカではどうなのでしょうか?
問題はそこですね。アメリカの水利権の制度は日本と異なり、一国で統一されておらず、州ごとに異なります。大きく分けると、東部では沿岸主義、西部では専用主義という水利権制度が主流になっています。カリフォルニア州はひとつの州でありながら、複数の水利権が並存しており、そのうち主なものがこの沿岸主義と専用主義です。
沿岸主義は、川に接した土地の所有者が、その川の水を使う権利を持つという規則です。
これはもともとナチュラル・フロー・ドクトリン(natural flow doctrine)といいまして、自然の流れをそのまま維持することを重視する考えを基礎としています。その考えの下では、水利用は洗濯や家畜の世話など「自然のもの」と灌漑や発電といった「人工的なもの」に分けられ、後者は厳しく制限されていました。ですが、それではあまりに水利用が制限されるので、徐々に制約が緩和されて、条件つきながら灌漑といった用途にも水を用いることができるようになりました。
一方、専用主義は、first in time, first in right、(早いもの勝ち)とも表現されます。つまり、時間的に先に使い始めた者の水利用が後から使い始めた人のそれよりも優先されるという規則です。「川岸に土地を持った者」ではなく、「先に実際に水を使った者」です。そこがポイントなんです。
このルールはカリフォルニアを起点にして西部に広がっていったのですが、その要因はいくつかあります。まず西部全般についていえば気候条件です。比較的降水量が多い東部なら、川岸から遠く離れていたところでも、自然の降雨で用が足りたのですが、西部は雨がずっと少ないため、川岸から遠く離れたところでは、川からそこまで水をひく必要がありました。水利用が川岸に限定される沿岸主義は、この点で雨の少ないところには不向きな規則でした。次にカリフォルニア特有の事情です。現在のカリフォルニアは1848年にメキシコから割譲されたのですが、その土地は合衆国の公有地と位置づけられました。沿岸主義は個人一人一人が土地を保有していることを暗黙の前提としていますから、その基本的条件がなかったことになります。
そして何よりメキシコからの割譲とほぼ同時期にカリフォルニアで金が発見されたことが作用しました。49ersというアメフトのチームに名を留めるように、1849年に大量の人々が金を求めてカリフォルニアに流入してきました。この金の採掘には水が不可欠でした。最初は皿上の鍋で砂金をとるpanningという単純な方法で川底の金が取られていましたが、川から遠く離れた所で金鉱が見つかると、そこまで水を引いて金を採掘しました。hydraulic miningと呼ばれる方法です。ちょうど消防車の放水のイメージに近いのですが、水の力で山を崩して地中の金をとる方法でして、当然、大量の水を必要とします。しかしカリフォルニアは乾燥地で誰もが十分な水を常に確保できるわけではありませんでした。特に雨が少ない年など水をめぐる競合が激しくなり、そのために採掘に使う水についてルールが必要となったのです。
ですが当時のカリフォルニアは割譲されたばかりで現在のように行政制度が整っておりません。そこで金鉱夫達は自分たちで独自の採掘ルールを発達させていきました。鉱夫は方々に鉱区を形成したのですが、やがてどの鉱区でもある共通の基本原則が生まれました。
それは「金鉱を先にみつけた人がそこの採掘権をもつ」という早い者勝ちのルールです。これは金採掘のルールですが、後に採掘に使う水についてもルールが必要となると、この金採掘のルールをそのまま水にも適用しました。こうしてfirst in time, first in rightという水利用原則が生まれたのです。おもしろいのは、当時のカリフォルニアは合衆国の公有地ですから、鉱夫たちはいわば不法侵入者です。その不法の輩が独自に作り上げたルールが後に州の公式ルールの一つになっていったというわけなのです。
問題は、このような水利権制度の差で、取引はどのように変わるかということです。沿岸主義の場合は、土地と水がリンクしているので、水を買うには土地まで買わなくてはいけません。しかも、自然の流れを重視する立場から流域の外に水を引っ張ることができません。あるいはこのルールの下では、各利水者は互いに平等であり、しかも「実際の水利用」ではなく「土地の所有」を基礎としているため、水を使わなくとも水利権が消滅しません。そのため、今まで水を使っていなかった上流の沿岸権保持者が突然利用を再開して下流の利水者に好ましくない影響を与えても、後者はある程度それに甘んじなくてはなりません。こうしたことは将来にわたり実際に使える水の量を予測しにくくします。どんな物でもそうですが、ふたを開けたら使い物にならない恐れがあるとき、誰もそうした物は取引したがりません。同じように実際どれだけ水が使えるか分らない権利などは誰も取引したがりません。こうしたことから沿岸主義には水利転用の制度的障害が潜んでいると考えられます。
それに比べると、専用主義は土地と水はリンクしていませんし、現在では許可水利権となっていますので自分が使える水の量が明快に規定されています。また土地をもっているかどうかではなく、実際に有益な用途に使っていることが大前提になりますので、「権利の上に眠る者」が出にくくなっています。さらに早い者勝ちのルールであるため、早い時期から水を使っていた人ほど取水が安定化します。この点、専用主義のルールの下では水利権が安定化しますので、比較的取引がしやすいというわけです。
もっとも専用主義の中にも取引の阻害要因が隠されています。水利権の没収規定の存在です。専用主義は実際の水利用が権利の基礎ですので、5年の間、有益な用途に使われていない水利権は没収の対象となります。これは休眠権利を防ぐ反面、水の節約を妨害してしまいます。節約して浮かせた部分はその人にとって「不要のもの」とみなされ、その部分が取り上げられる恐れを生むためです。これでは水を節約して浮いた部分を取引に回すことができません。つまり取引の芽が摘まれてしまうというわけです。
水不足は水の需要と供給の差が縮まるほど厳しくなりますが、以前は供給面の強化に主眼が置かれ、ダムをどんどん作って水の需給緩和を目指しました。ですが、1960年代頃から環境意識の高まりにより、そうした手法がずっと手間のかかるものになりました。そこで需要を抑えるという手法に目が向けられ、その一環として水利転用が重視されるようになりました。特にこの動きは1976〜77年の大渇水の後に本格化し、法律の改正が少しずつ進んできました。先ほど、従来の水利権制度には水取引の妨げとなる条項が潜んでいることをお話しましたが、それら意図せざる法的障害を少しずつ取り除く作業を行ったのです。
全ての障害が取り除かれたとはいきませんでしたが、没収規定については改正が進みました。例えば、1980年には、「水および水利権の売却、貸借などは浪費にあたらない」という規定が設けられ、さらに1982年には「節水により捻出された水が売買可能であること」が定められました。どういうことかというと、没収規定は売買可能な水を捻出する途をふさいでしまうので、それを撤廃し、水の取引をしやすくしたのです。ただ、これがなかなか浸透しないので、水銀行の運営時にも改めて「水資源の一時的転用は没収の対象にならない」ことが示されました。
それにしても、私は、この没収規定の存在が不思議でした。「なぜ、こんなルールがあるのだろう?」と。実際、日本でも水利権の見直し期間が存在しますが、カリフォルニアのそれは極端に短いのです。これは私の推測にすぎませんが、このルールの起源もやはり鉱夫のルールにあるのではないかと考えています。先ほども触れましたが、鉱夫たちの基本ルールは「金鉱を先に最初に見つけた人がそこの採掘権をもつ」というものでした。それと同時に彼らは「採掘権は実際に使われてはじめて効力を維持できる」というルールも作っています。金が目の前に眠っているかもしれないのに、せっかくの採掘権を遊ばせておくのはこの上ない無駄と考えたためです。これが採掘に使う水にも適用され、その後、採掘という使い方を離れ水利用一般に拡大していったのではないでしょうか。つまり、水を灌漑などに使わないで、ただ海へ流してしまうことを「水の無駄使い」と位置づける考えです。
こう考えたとき、妙な感じがしました。というのも、カリフォルニアの方々が考える「水の無駄使い」と我々日本人が考える「水の無駄使い」が異なるような気がしたためです。没収ルールの背後にある「水の無駄使い」とは「不使用(non-use)」ですが、日本で「水の無駄使い」と言えば、「5で済むところを10使う」、つまり「非効率(inefficiency)」ということを指します。上の推測が正しければの話ですが、このことは日本人とカリフォルニアの方々が水に対してもっている考え方が、深い部分で異なっていることを示唆しているような気がします。
他方で、このアメリカ西部の水の感覚が日本にもあてはまる場合もあると思うんです。我々が「土地」に対してもつ感覚です。よく「あそこの土地を遊ばせておくのがもったいない」といいますよね。これ、カリフォルニアの人々のいう「水の無駄使い」と同じ意味のような気がするんですよ。日本では土地が相対的に稀少な資源ですが、アメリカ西部では水が相対的に稀少です。こうした資源分布の違い、あるいはその背景にある気候条件の違いなどが、こうした感覚の違いを生み出しているような気がします。もっともこれは証明しようがないですけどね。
―― このあとも水銀行のような取引はあったのですか?
1992年、1994年にも開設されましたが、それ以後はないですね。この水銀行での初期取引を通じて、個々のWDがいざとなったらどこを頼ったらいいか教訓を重ね、ネットワークをつくりあげていったからだと聞いています。それで州当局が介入する必要がなくなった。
それに、近隣のWD同士の水取引は1992年以前からもあったようなんです。例えばAというWDからBというWDに5年間で100立米の水をレンタルするとします。Bは5年かけて20ずつかけて返してもいいし、今後5年間の内に最も渇水になった時にまとめて返すという契約でもいい。こういった取引は頻繁に行われているそうです。こうした素地があったので、「水銀行はそれを大規模に行うだけ」という感じになったのではないかと私は想像しています。だから、水銀行後も、WDがより広範にスムーズに水の取引をするように移行したのではないでしょうか。
この事例を調べて驚かされたのは、「ここまでやるか?」というぐらいの水への働きかけ方です。やはり水が希少だからかもしれませんね。でも、考えてみると、水が無いのにこんなに資金をもっているところは中東の一部を除いては他にありません。カリフォルニアの取り組みが、全部が全部、世界中で適用できるとは到底思いません。ですが、カリフォルニアはいろいろな取り組みを行なっている水管理の実験場のような所で、そこから学べる部分も多いと感じております。私がカリフォルニアに非常に興味があるのもこの理由からなのです。
(2007年12月27日)