日本は水を利用するために膨大な知識・技術・文化を蓄積してきました。それは現在、安全な水にアクセス出来ない11億人の人々にとって有益な参考となるはずです。折しも今年2008年は国連国際衛生年。海外の現場では、どのような人々がどんな活動をしているのでしょうか。国内からはなかなかうかがいしれないナマの姿をうかがいました。
独立行政法人国際協力機構(JICA)
地球環境部水資源・防災グループ水資源第2課長
石川 剛生 いしかわ たけお
1965年生まれ。民間企業を経て米国デューク大学行政学科国際開発行政コース修了。その後JICAに入る。現在、水資源に関する国際協力を担当している。
まず私の来歴からお話しします。私が大学を卒業したのは1988年(昭和63)で、タイヤを扱っている民間企業に就職しました。経理部とマーケティング部門で仕事をしました。
タイヤメーカーというのは、新車に既に部品として装備されるタイヤではなく、取り替えるタイヤで大きな利益を出すものです。
ご存じの通り、当時はバブル景気ですね。「より付加価値の高い商品を」というバブル景気の波はタイヤという商品の世界にも押し寄せていました。量は少ないけどタイヤに凝る方がいいお客さんなわけです。つまり、全体から見ると少数派の顧客を相手に、いかに高い収益を上げるかで各社競っている。マーケティング部門で習得した市場調査や需要予測の手法自体はとても面白く熱中しました。ただ、そういう仕事を続けているうちに、ちょっとむなしくなってきたんですよね。若気の至りとでも申しましょうか。「自分には他にやるべき仕事があるんじゃないか。」と思ったんですね。
そういう時に、「途上国を見てみたい」と思い、JICAが派遣する青年海外協力隊に参加し、中米のグアテマラで2年間活動しました。
青年海外協力隊は、応募が細かい職種に分かれています。私は市場調査という科目でした。同じ時期にグアテマラに派遣されたのは私を含めて、男性6人、女性3人の9人です。そこで、私は民芸品のマーケティングのような仕事をしていました。
グアテマラは、当時人口約1千万人の約5割が先住民。4割はメスティソ(ないしはラディーノ)と呼ばれる混血、そして1割が白人という国です。1960年から内戦が36年間続き、終わったのが1996年末。私が行った1994年はまだ内戦中で、民衆、特に先住民は経済的、政治的、社会的弾圧を受けていました。
虐殺が最も苛烈を極めたのが1982年ぐらいだったのですが、1994年の時点では「ついこのあいだのこと」ですよ。このため、「集まって何かしましょう」と協力隊員が呼びかけても、女性は集まってきても男は集まりに出てこなかったですね。「反政府的な集会をしている」ということで虐殺された記憶があるわけですから。
特に村落部で活動する協力隊は、「まず村の人に集まってもらう」ということが多いのですが、その方法がうまくとれなかった。
そういう現場で、行ったプロジェクトが民芸品の振興です。織物がきれいでしたので、それを加工して、グアテマラの首都や北米等の市場で民芸品として販売するというプロジェクトの仲介役をしました。
その時に私が「これだけは絶対にしない」と気をつけていたことがありました。それは「営業活動はしない」ということです。これ、みんなやりたがるんですよ。例えばケーキをつくる。それをムラの祭りで売るぐらいならいいのですが、隊員の「やる気」が度を超すと、それを首都まで隊員が自分で売りに行ったり、大使館の奥さんたちに買ってもらうお願いをしたりするわけです。そんなことは仮にやったとしても、続くわけがない。だから、売り先を探す時も、輸出商や、フェアトレードをしているようなNGOにコンタクトとり、できるだけ長続きする取引関係をつくることを意識していました。
まぁ、そういう長続きするしくみをつくる場合、国際協力の教科書には「組織のリーダーとしての潜在的能力の高い人間を見つけ、勧誘して育てる」とか書いてありますけど、そういう人は既に他のNGO等に取られちゃっていることが多くて上手い具合にはいかないものです。そこで、フェアトレードのNGOにとにかく商品を扱ってもらう交渉をしましたが、これがなかなか苦労しました。
日本のジェトロ(日本貿易振興機構)と同じような機関がグアテマラにもありまして、「非伝統産品輸出業者組合」といいました。どの途上国でも、コーヒーやさとうきびなどの一次産品を中心とした単一産品に依存する経済(モノカルチャー)から脱却することを願っています。そこで工業振興のために非伝統産品、つまり簡単な加工品を育成し、軽工業を育てようとしたわけです。ここは民芸品輸出振興が一つの柱になっていたので、そことの仲介もしましたね。
そうこうしている内に2年間の任期が終わり、後任隊員に引き継ぎ、日本に戻りました。
帰国してすぐの頃ですけど、自動販売機やコンビニでモノを買うのがつらかったですね。グアテマラでは、夕方にビールでも買いに行くと、雑貨屋のおじさんや娘さんと10分や15分だべって、世間話をして帰っていた。そんな生活に慣れますと、日本での自動販売機やコンビニでの買い物があまりに無機質で冷たい感じがしました。
その後、アジア経済研究所が社会人向けに開講している「開発スクール」というプログラムを受け、その後アメリカに1年間留学しました。デューク大学の行政学科国際開発行政のコースです。大学側としては、開発現場のケーススタディがほしいわけですよね。そこで35歳ぐらいの途上国行政官や私のような途上国協力活動経験者を集め、修士をとらせ、ケーススタディを集めることをしていたのでしょうね。アジア、アフリカ、旧ソ連・東欧、もちろん中南米。文字通り世界中の同世代と1年間一緒に勉強できたのは協力隊とはまた違った貴重な経験でした。
修士論文では「グアテマラにおける中小企業に対する持続的金融」をテーマとして冬休みに1ヶ月程グアテマラへ行って現地調査もしました。2年間地べたを這いずり回るようにして活動したグアテマラを少し距離をおいて振り返りたかったんだと思います。
その後JICAに入り、2年半ほど調達部、その後、南米パラグアイで3年半ほど仕事をして、今の部署に3年ほどいます。
私がおりました頃のパラグアイは、それまでの農業分野を中心とする協力から、1995年に発足したメルコスール(南米南部共同市場)下の自由貿易に対応するため、経済競争力強化やガバナンス分野へ技術協力の方向を転換していく時期でした。
具体的には、職業訓練校への協力、パラグアイの経団連にあたるような団体をカウンターパートとした中小企業振興、度量衡制度向上のための協力、パラグアイ大蔵省の地方交付金の成果を評価のしくみを作りなど。とにかくいろいろな協力案件を担当しました。
―― JICAの技術協力の特徴ってなんでしょうか。
JICAの技術協力というのは、日本人専門家の派遣や途上国のカウンターパートを日本の関係機関に研修員として受け入れることが中心で、案件の規模もそれほど大きくはありません。
つまり、何十億円、何百億円といった資金によってものを言わせることはできないわけです。その一方で良い面としては、相手の国の人たちと一緒になって、よく話してプロジェクトを遂行するということがある。ここには日本人的なきまじめさと野心の無さ、大言壮語よりも現物現場という伝統が反映していると思いますね。
外国の援助機関には、間接的にその国に影響力を与える等、多かれ少なかれ何らかの目的をもっているところもあります。無論、JICAの技術協力は日本のODA(政府開発援助)の一部であり国益・国際益を追求するものであるという側面はあります。
しかし、実際の技術協力のプロジェクトの現場では、その案件がうまくいくためにはどうしたらいいか、スタッフは本当に純粋に考えてやっています。相手の国の人たちと一緒になってですね。「JICAは上から押しつけない」と、途上国には認識していただいているでしょうね。ただ、ドナー協調が進む中で「俺たちは黙っていいことをやっている」という姿勢だけでは通用しなくなっています。他のドナーが分かる形でJICAの技術協力の特徴や意義を説明し発信していく必要があるわけです。
ご存知かと思いますが今年の10月にJICAは国際協力銀行(JBIC)の円借款業務を外務省からは無償資金協力業務の一部を承継します。技術協力、円借款、無償資金協力という3つの援助手法をいかに効果的に組み合わせてより大きな協力効果を図っていくか、本当に大きな挑戦です。
水に関するJICAの国際協力は、大きくは総合的水資源管理、水供給(都市給水・村落給水)、治水、水保全の四つに分けられます。4つの分野で留意している事項は以下のとおりです。
件数ベースで見ると、都市給水と村落給水を合わせた給水案件が全体の約7割を占めます。
都市給水は水道の技術支援ということで想像しやすいと思います。一方、村落給水というと井戸掘りをイメージされるかもしれません。確かに地下水は多くの途上国で重要な給水源となっています。しかしただ掘ればいいというわけではありません。地下水の水量、水質の調査、村落の人口分布、所得、経済状況等を勘案し、施設整備の優先順位や施設のタイプを決めていきます。村落給水は各戸給水ではなくて公共水栓が中心なのですが、ハンドポンプを設置し給水管路の無い方式(点水源型給水施設)と、水源井戸から給水管を設けて配水する方式(配管系公共水栓型給水施設)の大きく2パターンに分けられます。
また、給水施設設置後の維持管理に関する協力が村落給水の技術支援の中心になっています。
点水源型給水施設→配管系公共水栓型給水施設→各戸給水施設の順に施設が複雑・高度化していき、逆の順番で水利用者の施設の維持管理への関与度が高くなります。村落給水では先ほどお話しましたように、点水源型給水施設や配管系公共水栓型給水施設が主流ですから、どうしても相当程度水利用者の協力や参加が必要となってきます。水利用者の参加を促しながら、地方行政、地場の民間企業、この3者の適切な役割分担によって施設の運営・維持管理をおこなう必要があります。
ここ最近の例を見ると、一部の国では、住民組織に任せるのではなく、民間組織に業務委託してしまう例も出てきています。ルワンダ等はそのような動きがみられます。それまでは責任権利関係も曖昧なままで、水源からの給水施設設置・維持を行っていた国も多かったと思います。しかし、例えば「施設所有権はこちらでもちます。維持管理だけはそちらでやってくれ」という大雑把な話だったものを、契約ベースに切り換えて地場の法人に担わせようという流れですね。世界銀行などが旗振り役になってこの流れを押し進めていますが、これがうまくいくかどうかは私たちもきちんと注視しておかねばなりませんね。
日本でも水道を2種類に分け、給水人口が5千人に足りない場所は簡易水道として、補助金を支給していますね。そもそも水道という事業は行政の規制や介入のない競争的市場では成り立たない部分があるわけです。先ほど申し上げた村落給水のハンドポンプスタイルは、給水人口200人、世帯数50という規模が多い。仮に、こういう現場で、民間企業に業務委託し施設の更新までさせるということは、利用者が支払う水料金に通常の維持管理費に加えて減価償却費分積み立ても含めていくということです。そこまですることが妥当なのか。日本の水道でも、施設の規模に無関係で受益者負担が徹底しているわけではない中で、あえてこういう方式を国際協力の中で押し進めていくことは無理があるのかもしれないという気はしますね。
安全な水、つまり水と衛生はセットで考えねばだめなわけで、JICAでも3年前から本格的にそのような取組を始めています。衛生改善のポイントは①衛生啓発と②衛生施設(トイレ)の普及支援です。JICAとしても、都市部の衛生は以前から進めてきたわけですが、これからは村落の衛生協力も積極的に行っていきます。
ただ、実際には様々な現場の課題があります。
まず、トイレは個人の所有物ですから、たくさんつくって「使ってください」と言うわけにもいなかい点はあります。それ以上に、トイレ使用については国による差がありすぎます。トイレを使わないという所はまだ多い。そういう人々には、まずは啓発から入っていかざるをえないですね。
そこで、啓発の具体的な方法が問題となるのですが、ファスト(住民参加型の衛生行動変容、PHAST:Participatory Hygiene and Sanitation Transportation)と呼ばれる住民参加型アプローチの衛生啓発の実施方法はご存じですか? 1990年代にユニセフが開発した手法で、紙芝居のような絵を使ってお母さんグループや学校など、影響力をもつグループを通じて村落に広めていこうというものです。「学校にトイレを造って使いましょう」という運動になったり、ある国ではトイレをカラフルに塗って、トイレに生きたくなる雰囲気をつくったり、住民参加型ですから、いろいろな形をとります。
最近JICAの専門家がニジェールで行った調査によると、既存のグループ、特に母親グループを対象にPHASTトレーニングを行った場合最も効果的であったという結果が出ています。また、面白いことにトレーニングの参加者には日当を支払わないケースのほうがむしろ持続性が高いという結果が出ました。一部の参加者に日当を払うと、日当を受け取っていないその他多数の村の住民は「これは日当を支払われた者の仕事」と受け止めて協力を拒むらしいんです。日当を最初から支払わずに「衛生啓発の向上は国民の義務である」という姿勢を明確に打ち出すほうがむしろみんな本気になるようなんです。これなんか、「住民参加」という名の下に参加者に日当を払う一部欧米ドナーの手法に対する痛烈なアンチテーゼかもしれません。
このように、衛生の問題はなかなか一筋縄にはいかないですね。われわれとして、どのような啓発方法をとればよいのか、そのノウハウをためている段階ですね。
JICAは、技術支援を行う際には実務出身者からアドバイスをいただいています。都市給水の技術協力では水道局の現役、OBの方達から支援いただいていますが、水道局のような意味で村落の「トイレ・衛生の普及啓発」を専門にしている人というのはいまの日本にはほとんどいないわけですね。「水と衛生」という国際協力は、このような文化的な課題が横たわっているわけで、人材の育成も含めて、本格的に取り組んでいきたいと考えています。
(2008年2月14日)