段畑の見事な景観が残る「高開の石積み」(徳島県吉野川市)。「にほんの里100選」に選出されている
「石積み」は、棚田や段畑(だんばたけ)の斜面の崩壊を防ぎ、土砂を留めるために設けられるものです。また、水を一時的に溜めることで治水に役立ち、山間部では水の涵養も支えています。その石積みの修復に取り組む女性研究者がいます。2009年から徳島県吉野川市の「高開(たかがい)の石積み」に通う真田純子さんです。学生向けの「石積み合宿」と一般向けの「石積み学校」を開催し、冊子の発行も含めて、失われつつある修復の工法や技術を伝えようとしています。「石積み合宿」の最中に真田さんを訪ね、石積みの現状や技術継承の問題についてお聞きしました。
東京工業大学 大学院社会理工学研究科・工学部 准教授
真田 純子(さなだ じゅんこ)さん
農地の石積みは、あまり整形していない野面石(のづらいし)を用いて、規則性のない「乱積み」と呼ばれる方法でつくられてきました。また、モルタルなどの接着剤を使わない「空(から)石積み」という方法で積み上げるものです。その技術は家族や集落で受け継がれてきたようです。しかし、1950年代にコンクリートブロックが普及しはじめたことによって、石積みの技術は衰退しています。
石積みの景観をすばらしいと思う人は多いでしょう。私も最初は風景としての興味からここに通いはじめましたが、今ではその工法にも魅せられています。自然界にある材料しか使わない石積みは、環境にもやさしい工法です。コンクリートブロックは崩れたら終わりですが、石積みは崩れたりゆるんだりしたら何度でも積み直せます。
今回、私たちが修復しているのは、徳島県吉野川市美郷(みさと)の大神集落にある「高開の石積み」です。美郷地区は1970年(昭和45)に「ホタルおよびその生息地」として、国の天然記念物に指定され2000年(平成12)に「美郷ほたる館」がオープンしますが、それまでは高開の石積みはさほど注目されていませんでした。徳島県には石積みの棚田や段畑はたくさんあるので、住んでいる人たち自身がその価値に気づいていなかったのです。
しかし、大神集落の下を流れる吉野川水系の川田川(かわたがわ)でホタルの生息地として学術的な調査が進み、訪れた人たちが「この景観はすばらしいのではないか」と言い出しました。それから集落の人たちが協力して、石積みのライトアップやイベントを開き、徐々に有名になったのです。
私の専門は景観工学ですが、徳島に来て最初に「農地の景観が多いな」と気づきました。それまで研究していた東京は構造物や街並みの景観。コントロールして整えよう、デザインでなんとかしよう、という世界と言えます。しかし徳島で見た農地は違いました。生活そのものが景観なのです。人々の営みの積み重ねが素晴らしい景観を生み出していることを知り、「これまでとは違う考え方が必要になる」と感じました。
「高開の石積み」を最初に訪れたのは2007年の秋です。2007年1月に徳島大学に着任してから自動車の運転免許を取得したので「クルマでしか行けない場所を訪ねよう」と調べていたら、美郷でそば蒔き体験があるのを知りました。初めは石積みで有名な場所とは知らずに来たんですね。しかも、大学の私の前任者がここに通って石積みをしていたこともそれまでは知りませんでした。
段畑はほんの少し谷側に傾いているので、小型の耕運機をまっすぐ押すことが難しくて、翌日は全身筋肉痛に……。非常に急な傾斜地なので、数枚上の段畑に移動するだけでも息があがってしまいます。「棚田や段畑の集落は耕作面が狭くて機械化が進まないから、平坦な街に出て行く人が多い」ということを知識としてもってはいましたが、生活するだけで相当大変です。体験しないとほんとうのことはわからないんですね。
また、ここの住民である石積み職人の高開文雄さんにもお会いしました。前任者のサポートをしていたので、石積みの方法を学生に教えることに長けています。まずは体験してみようと、私も高開さんの指導を仰ぎながら、大神集落で石積みをやることを決めたのです。
学生向けの「石積み合宿」をスタートしたのは2009年です。当初は、景観を学んでいる学生を重点的に集めていました。いずれは公務員やコンサルタントなど、景観計画をつくる立場になるであろう人たちです。斜面にある集落に住むことがどれくらい大変なのかを知らないで「いい風景だから守りましょう」という計画をつくるのは無責任だと思ったので、知ったうえでプランをつくってほしいと考えたからです。石積み合宿は授業ではなく、交通費や宿泊費はすべて自己負担。学生は全国からやってきます。
石積み合宿は、2011年に学生向けと研究者仲間のための合宿を1回ずつ開き、2012年にも2回開催しましたが、こうした経験を積むにつれ、私のなかにも石積みの知識が蓄積されていきました。積む技術を習得し、石積みの状態を判断できるようになると、県内各地にある石積みが、10年、20年経ったら崩れてしまいそうな状況にあるということもわかるようになりました。その一方で、石積みの技術を継ぐ人がいないことも知りました。誰の目にも明らかに崩れている状態になったときには、石積みの技術が失われている可能性もあると思いました。全国で棚田や段畑を景観の資源としたまちおこしが盛んですが、このままでは、そうした資源が保てないと考えました。
そこで、学生だけではなく、石積みの修復のしかたがわからなくて困っている人、習いたいと考えている人にも教えなければ、と2013年3月から1泊2日の「石積み学校」をスタートしました。一般の人が参加できるように週末に開催しています。当初は「何回か通って石積みの修復技術を身につけてもらい、地元に帰って周囲に伝える後継者を増やそう」と思っていましたが、実際には「ほんとうに困っている人たち」がやってきました。自分の農地の石積みを直したくて参加するので、技術を完璧に身につけなくてもいいんですね。あらましを知って、あとは自分で試行錯誤する人が多いです。
かつては、親が子に自分の農地の石積みを直す手伝いをさせながら、積み方や土の掘り方のコツを伝えていました。いわばタテに継承されてきました。過疎化などによって、それが難しくなってきた今は、昔とは違う伝え方を編み出さないと技術と知恵が途絶えてしまいます。その新しい方法の1つが「石積み学校」です。
「石積み学校」は、石積みの技術をもつ人、技術を習いたい人、石積みを直してほしい田畑をもつ人の三者をマッチングするしくみで、ヨコの広がりをもって技術の継承をしていこうとするものです。修復作業を通じて技術を継承すると同時に、石積み修復のボランティアでもあるという複合的な目的をもっています。
そもそも、石積みには棚田や段畑の土砂をその場に留める役割があります。傾斜地ですから放っておいたらどんどん流れていきます。つまり石積みが崩れたり荒れてくると土が川に流れ込んでしまうのですね。川田川がきれいな水質を保てるのも、土砂の流出を石積みが防いでいるからです。
イタリアにも石積みがあります。リグーリア州の観光地・チンクエテッレでは、2011年(平成23)10月に大雨によって土砂が大量に流れて、ふもとにある駅が埋まってしまうという大災害が起きました。背後の山にある段畑が荒廃していたところに大雨が降り、一気に流れ出たのが原因の一つではないかと言われています。
日本の石積みもこのままでは荒れる一方です。若い人がどんどん都市部に出て、山間部は人口が減っていくという今の日本の社会構造では、農地をもっている人に石積みの保全にまつわるすべての責任を負わせるのは無理です。
政府は2003年から外国人旅行者の訪日を促進する戦略を打ち出していますが、日本特有の農村の風景、棚田や段畑といった日本人の生活が見える場所は大きな観光資源であるはず。ならば、住んでいる人たちに「がんばれ!」と言うだけでは不十分で、なんらかの対策が必要です。
そこで一つ大きな問題があります。空石積みは構造計算(注1)ができません。ご覧のとおり石の大きさも積み方もバラバラですので、計算式から強度を表すことが難しいのです。実際には200年前の石積みが今も使われていたりしますので、経験則からは大丈夫と言えても数値化はできません。ところが、災害で石積みが崩れた場合など、補助金は構造計算したものにしか適用されません。つまり、修復に補助金を使おうとすると、構造計算ができるコンクリートに変えられてしまうのです。
棚田は水路や小川から取水することが多いですが、いざ水路を改修しようとするとコンクリート張りになってしまう。せっかくの観光資源が石とコンクリのパッチワークになってしまったら、文化的な景観が失われてしまいます。外国人も興ざめでしょう。歴史的、経験的に石積みは安全ですが、構造計算で安全性を立証できないことが足かせです。
ただし、今後は変わっていくと思います。2005年4月1日に施行された改正文化財保護法では、文化的景観を文化財の一領域に加え、重要文化的景観(注2)の選定が始まりました。石積みに補修が必要となった場合、公共工事でコンクリート張りにしてしまったら、重要だと認められ選定されたはずの景観が維持できません。ですから、最近は「これはおかしい。空石積みに戻さなければダメなのではないか?」と指摘する声が増えています。これから見直しの動きは出てくるはずです。
(注1)構造計算
建築構造物や土木構造物などが、固定・積載・積雪・風・地震の荷重に対してどのように変形・破壊するのかを計算すること。
(注2)重要文化的景観
日本の景観計画区域または景観地区内にある文化的景観で、都道府県や市町村が保存措置を講じているもののうち、特に重要なものとして国が選定した文化財。
石積みとは、ただ石の壁をつくる技術というだけではなくて、日本の文化の一つだと考えています。石を積む、という行為にさまざまな文化が含まれているからです。
例えば、道具には先人の知恵が生きています。石を削ったり割ったりするときに「玄翁(げんのう)」という大きな鉄のハンマーを使います。石を割るには大きいほうがよいのですが、腕に負担がかかってしまう。衝撃を和らげるために、柄は柔らかい木材を使います。高開さんは「このタイプだったら、この木を使う」と木の種類まで覚えています。しかも製材ではなく「枝」を使うのです。製材は木目に沿って割れやすいけれど、枝は1つの構造体ですから強くてしなやかだからです。石積みのおもて面の「積み石」の裏に入れる「ぐり石」(小さな石)の置き方一つとってもコツがあります。
このように、石積みには道具から作業手順に至るまで、先人が会得してきたさまざまな知識や経験が詰まっているのですね。それを少しでも記しておこうと、2014年1月に『棚田、段畑の石積み――石積み修復の基礎』という冊子をつくりました(A5判、26ページ)。石積みの構造を書いている本はあっても、どうやったらそこに至るのかを解説した本がなかったのです。この冊子には、私がこれまでに得た石積みに関する知識をできるだけ詳しく記しました。石の角度など細部にもこだわりたかったのでイラストも自分で描いています。送料だけのご負担でお送りしていますが、問い合わせはかなりありますので、興味のある人は実際にはかなりの数に上るのだとわかりました。
これから取り組みたいことは 「石積みの修復による新入社員・若手社員研修」です。先ほど見ていただいたように、石積みの修復はとても狭い場所で作業するので、チームワークが不可欠です。今の若い人たちは「黙って自分でやった方が、気が楽だ」みたいな風潮がありますが、石積みの作業は1人ではできません。簡単なことでも「これ、運んでください」とお願いしないと進みません。
こういう場は新社会人や若手社員に有益だと考えたので、2014年3月に明文化してパンフレットを制作しました。これから広く企業に呼びかけていきます。
企業の側から見ても、ほんとうに困っている人がいる課題に対する貢献ですから、まさにCSR活動としてふさわしいと思います。参加費は「石積み学校」の運営費とさせていただき、石積みについて困っている人たちを教える活動に使います。
私個人としては2015年10月から東京工業大学に准教授として戻ることになったので、今後は石積み学校の活動も続けつつ、「公共工事としての石積み」も対象として、景観の重要な場所の公共事業には空石積みが使えるようにするべく、研究するつもりです。
(取材日 2015年8月18日)