治水家といわれる人がいます。
洪水を治め、暮らしに必要な水を手当てするために事業を行なった、ときに偉人と呼ばれる人たちです。
しかし、実際に土を掘り、石を運んだのは地元の人ですし、詳細図を引いたのは、たぶん専門の能力を持っていた人でしょう。
では、治水家が果たした役割は、いったい何だったのでしょうか。
そんな疑問から、同じ扇状地であっても性質の違う
甲州と佐賀に目を向けました。
おのおの武田信玄と成富兵庫茂安(なりどみひょうごしげやす)が、郷土の治水家として位置づけられています。
コンクリートの堤防も動力ポンプもない時代に、その土地がどうやって守られてきたのか。
飲み水や農業用水を、どうやって得ていたのか。
そこに蓄えられた叡智を探ってみました。