里川文化塾
開催レポート

第6回里川文化塾 龍と亀 日本の治水術と中国の治水史

 人の暮らしに欠かせない川は、恵みと厄災の両面を持つ存在です。人の暮らしと川が心理的に遠い存在になっている現在、距離を縮めて〈新たな里川〉を地域に復活させるには、温故の知恵が大切ではないでしょうか。今に伝わる数々の〈水の伝説〉には、人が川と折り合いをつけながら暮らしてきた知恵が詰まっています。治水の妨げになるものをいかに克服してきたか、というヒントが隠れているようにも思います。

 こうした仮説のもとに、当時、先進技術を持っていた大陸・中国の水にまつわる伝説や文献を蜂屋 邦夫さんにひもといていただき、日本の治水術の変遷を島谷 幸宏さんにレクチャーしていただきました。中国思想史の専門家である蜂屋 邦夫さんと日本の河川工学の専門家である島谷 幸宏さんによるscience meets history and culture の化学反応を楽しみながら、領域を超え、時空を超えて、未来のあるべき川の姿を一緒に探り、楽しいひとときを過ごしました。

実施概要

日時
2012年6月21日(木) 13:00〜17:15
会場
ミツカン東京フォーラム
参加者数
30名
蜂屋 邦夫

講師

東京大学名誉教授 文学博士
蜂屋 邦夫 はちや くにお

1938年東京に生まれる。1963年東京大学教養学部教養学科アメリカ分科卒業、1968年同大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程単位取得満期退学、東京大学東洋文化研究所助手、1974年助教授、1987年教授、1999年定年退官。1999年大東文化大学国際関係学部教授、2009年定年退職。
中国思想史の研究者。老荘思想、道教が専門。
主な著書に『中国の思惟』(法蔵館 1985)、『老荘を読む』(講談社 1987)、『金代道教の研究-王重陽と馬丹陽-』(汲古書院 1992)、『中国の不思議な物語』(同文書院 1993)、『中国思想とは何だろうか』(河出書房新社 1996)、『老子』(岩波文庫 2008)ほか

島谷 幸宏

講師

九州大学大学院教授 工学博士
島谷 幸宏 しまたに ゆきひろ

1955年山口県に生まれる。建設省土木研究所、国土交通省九州地方整備局の武雄河川事務所長を経て、現在、九州大学大学院工学研究院 環境社会部門教授。
専門は河川工学、河川環境。国土交通省多自然川づくり研究会座長、九州地方整備局風景委員会委員長などに参加。
主な著書に『水辺空間の魅力と創造』(共著/鹿島出版会 1987)、『河川風景デザイン』(山海堂 1994)、『河川の自然環境の保全と復元』(鹿島出版会 2000)、『エコテクノロジーによる河川・湖沼の水質浄化』(共著/ソフトサイエンス社 2003)ほか

プログラムリーダー

機関誌『水の文化』編集長
賀川 一枝 かがわ かずえ

第6回里川文化塾 龍と亀 日本の治水術と中国の治水史 会場の様子

「ミツカン水の文化センターでは、里川という言葉を、使いながら守っていく健全な水循環という意味で意識して使っています。単に川そのものを指しているのではありません。普段聞き慣れない言葉ですが、みなさんも覚えていただけたら幸いです」という宮崎センター長の開会挨拶に続き、司会進行の賀川 一枝から、質疑応答のための質問用紙を休憩時間に回収するなどの説明があり、第6回里川文化塾「龍と亀 日本の治水術と中国の治水史」は、蜂屋 邦夫さんのガイダンスから始まりました。

目次

蜂屋 邦夫さんのガイダンス

昔の中国では〈水〉は川のことを指しました。中でも〈河〉は黄河のこと。中国の興りも、世界各地で見られる洪水伝説に求めることができ、中心的な登場人物である鯀(こん)と禹(う)の親子は、実は亀を信仰する部族と龍を信仰する部族の対立と勢力移譲だという説もあるそうです。中華文明の生みの親、黄河についての概論です。

水といえば川
中国における治水-鯀と禹の登場
治水といえば黄河
黄河の濁り
黄河の支流、渭水と涇(けい)水
中国における親水意識


島谷 幸宏さんのガイダンス

禹(龍)に代表される〈疏の技術〉は、鯀(亀)に代表される盛り上げたり塞いだりすることで〈リスクと恵みを分ける技術〉を駆逐していったのではないか、という仮説とリンクさせながら、島谷さんは日本の治水技術の歴史を概説。併せて、戦国時代に河川技術が劇的に進展した理由を、明からの技術伝播に求めようと試みています。

龍と大蛇(おろち)
亀とはなにか?
日本の河川技術の変遷
戦国時代の劇的な進展
近代河川技術と河川法
河川法が改正(1964年) 治水から利水へ
環境に配慮した川づくり
日本最古の用水路 裂田の溝(さくたのうなで)
戦国時代の治水家 成富兵庫茂安


蜂屋 邦夫さんの投げかけ1

中華世界において、いかに黄河の占める意味合いが大きいかを物語る言葉に治黄(ちこう)があります。治黄すなわち黄河の治水に奔走した潘季馴(はん きじゅん)と陳★(ちん こう)、■輔(きん ぽ)の治水術を紹介しています。

明清の治黄問題


島谷 幸宏さんの投げかけ1

蜂屋さんの発表から、荒川の横堤は潘季馴が考案した横堤と同じ働きを持つものだ、という気づきがうながされました。また、2011年(平成23)に起きたタイの大規模な水害に対する対応にも、水のエネルギーを分散する〈亀技術〉の発想が見直されていることが紹介されました。

黄河の格堤が荒川の横堤に
タイの大洪水


蜂屋 邦夫さんの投げかけ2

中国では2500年前の水利施設が、手を入れながら、現役で使い続けられています。そこにはリスクと恵み(治水と利水)の両方が統合的に考えられていて、水のエネルギーを分散する〈亀技術〉が価値を持っていました。▲ショウ水十二渠(しょうすいじゅうにきょ)/都江堰(とこうぜき)/鄭国渠(ていきょくきょ)/霊渠が、例として紹介されています。

▲ショウ水十二渠のエピソード
秦代の水利施設1 都江堰
秦代の水利施設2 鄭国渠
秦代の水利施設3 霊渠


島谷 幸宏さんの投げかけ2

約400年前につくられたと推測される九州・秋月の女男石は、河川の流路固定と旧河道を利用して用水路へ配水するための水利施設。水を直角に構造物にぶつけて勢いを削ぎ、利水は入口を狭くしておき、洪水のときの余分な水は本流に返す仕組みが採用されていて、中国・都江堰との類似性が極めて高いことが説明されました。

秋月の女男石(めおといし)
上流の川づくり ステップ&プール


蜂屋 邦夫さんの投げかけ3

亀は玄武。そのもとになった中国の星座〈北方七宿〉(ほっぽうしちしゅく)と五行思想(ごぎょうしそう)について、解説がなされました。また、文献に見られる例として、『礼記』(らいき)「礼運」(らいうん)、『荘子』「秋水」、『山海経』「北山経」、『龍生九子』、『尚書』「洪範」、『広雅』という辞書の「釈魚(しゃくぎょ)」の項、『管子』「水地」が挙げられました。

中国における亀と龍


質問タイム


蜂屋 邦夫さんのまとめ

中国の親水についての補足があって、「日本人にも『仁智の楽しみ』という言い方で山や川を楽しむ文化が江戸時代まで定着していた。近代に入って、我々日本人が失ってしまった感覚だ」と指摘がありました。蜂屋さんは今まで中国のことを研究してきましたが、年々、日本にとってどういう意味があったのかということに興味が向いているため、今回の里川文化塾をきっかけにして、日本と中国が、同じような文化を持ちながら違っている点というのを、もう少し探っていきたい、と心境が語られました。

島谷 幸宏さんのまとめ

思想がない技術というのは危険であり、思想の背景を知って使わないといけない、提言がありました。高知県の須崎の新しい津波対策を例に挙げ、〈亀技術〉はぶつけたり、渦を巻いたりすることで、エネルギーを削いだり、土砂をコントロールする減災の技術であると指摘。今の社会に必要なのは、流れに逆らいながらも頑張って、徐々にエネルギーを削いで方向を変える〈亀技術〉ではないか、というのが島谷さんのまとめです。



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