機関誌『水の文化』59号
釣りの美学

文化をつくる
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「釣る」だけではない「釣り文化」

編集部

釣りの魅力は静寂と興奮の落差

「一時間、幸わせになりたかったら酒を飲みなさい。三日間、幸わせになりたかったら結婚しなさい。八日間、幸わせになりたかったら豚を殺して食べなさい。永遠に、幸わせになりたかったら釣りを覚えなさい。」

これは作家の開高健がアマゾンを60日かけて巡った釣り紀行『オーパ!』(集英社 1978)に記した中国の古諺(こげん)だ。釣り人の間でよく知られているが、開高自身は「引用元はわからない」とも記している。40年経ってもこの文言が流布しているのは、釣りの魅力をよく表しているからだろう。

開高と親交が深く、釣り名人として名高い尺八奏者・作曲家の福田蘭堂、さらに作家の井伏鱒二や幸田露伴など釣りに熱中した文化人は枚挙に暇がない。そして、釣りはしばしば人の生き方も変える。バスフィッシングにハマり、京都駅そばで営んでいたたこ焼き屋を畳み釣具店を開業した川村岳大さん「ごみを拾う釣り人たち─琵琶湖で始まった新たな交流」参照)、釣りを始めて交友関係が広がったピーター フランクルさん「釣りを極めて「道」とする日本文化」参照)、和竿の釣り味に魅了され、自分でつくるようにもなった三ツ木新吉さん「江戸前のハゼ釣りに「和竿」で挑戦!」参照)。皆、釣りの魅力を熱っぽく語ってくれた。

それほどまでに人を熱中させる理由について、評論家の森秀人は「たぶんそれは、釣りが魚捕り以外の大きな魅力を備えているからに違いない。釣りは緊張、陶酔、解放という興奮回路の繰り返しである」とかつて述べた。大岡玲さんが「ひとしずく」「水惑星との交信」参照)で見事に表現しているように、静寂のなか、水のなかから身を躍らせて魚が食いつくその瞬間の興奮が、釣りの魅力なのである。

釣り人と魚、水との関係

釣りという行為を遡れば、博物館に獣骨や石を用いた釣(つ)り鉤(ばり)が展示されていることからもわかるように、そもそも古代に生まれた狩猟方法の一つだ。

魚類学者・末広恭雄の著書『釣ろう・釣る・釣れた―釣魚生態学―』(二見書房 1976)によると、魚を獲るためにまずヤス(銛(もり))が、次いで釣りが生まれ、そのあとに網が発明された。縄文時代晩期、東北地方では釣り鉤によるマグロ漁が盛んだったし、『古事記』に出てくる神話「海幸山幸(うみさちやまさち)」では火照命(ほでりのみこと)の持つ釣り鉤から物語が進んでいく。

時代が下ると、釣りは食料を得る手段から徐々に趣味の色彩を強めていった。江戸時代に釣りが盛んになった経緯については、長辻象平さんが詳らかにしたとおりだ「江戸で花開いた釣りの文化─徳川治世下の釣客群像」参照)

元来食料の調達手段なので、釣りには魚という獲物を食す楽しみがある。しかし、空腹を満たすだけではなく、知的好奇心を満たす存在でもあると平坂寛さんに教えられた「釣って食べて学ぶ外来魚」参照)

釣りは一筋縄ではいかない。初心者でもあっけなく釣れることがあるし、ベテランが手を尽くしても釣れないこともある。人間は魚が棲む水のなかをありのままに見ることはできない。それゆえ釣り人は知識や経験を照らし合わせて魚の状態を想像し工夫する。腕利きの釣り師は科学者と同じ行為をしていると、現役の研究者、吉田誠さんは指摘する「魚は釣られたことを覚えている?─「魚と人の交差点」を探る」参照)

釣り人が「釣りに行きたい」と思うとき、水際に立つ自分や水辺の風景を夢想している。そんな「釣りを通じて生まれる人と水の関係性」を明快に語ってくれたのは「テンカラ大王」こと石垣尚男さんだ「無駄をそぎ落とした究極の釣り「テンカラ」」参照)

「私のように長い間釣りをしていると、『魚を考えることは水を考えることだな』と思うようになります。そういう意味で、釣り人も『水』や『水の文化』にかかわる一員だと思います」。

釣り人が担う社会的役割

では、釣り人は今どれくらいいるのか。総務省が「平成28年社会生活基本調査」を踏まえて公表した「釣りの行動者数」によると、過去一年間に釣りをした15歳以上の人は887万2000人。子どもの数を含めればもう少し多いだろう。

この約900万人もの釣り人が、自然の恵みを享受するだけでなく、仮に社会的な役目を担う存在となればインパクトがありそうだが、それにはどんな方法があるのだろうか。

ごみ拾いをきっかけに釣り人と地域住民の交流が始まっている琵琶湖「ごみを拾う釣り人たち─琵琶湖で始まった新たな交流」参照)では、釣り人が発見した異変を研究者に伝え、サンプルも採取して手渡したという話を「淡海(おうみ)を守る釣り人の会」の皆さんに聞いた。釣り人は水辺にいる時間が長く、定点観測しているので異常に気づきやすい。護岸工事のあとにタナゴがいなくなった、という話も琵琶湖で耳にした。

ビッグデータの蓄積や分析が進む現代社会で、魚や水質、植生など水辺にかかわる情報を釣り人たちが提供することは、釣りに新たな色相を加えることになるだろう。

また、こうした釣り人が増えることで水や水辺、魚という生物資源が守られる可能性もある。釣り上げた魚を再び水に戻す「キャッチ&リリース」は比較的新しい釣りの概念だが、これを「釣りは結果よりも過程を楽しむもの」という釣り人の意識が変化したことの発露と捉えるならば、こうした新たな概念は今後も生まれうる。「釣り人はごみを拾うもの」を当然のこととする人たちが、すでに現れているように――

狩猟から趣味へと移行した釣りは、習得・共有・伝達されて文化となった。この先、社会的な役目も担うとすれば、釣り文化はより重層的なものとなるし、その兆しは見えている。

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