水の風土記
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醤油の蔵人とたくさんの人をつなげたい!
〜小豆島を拠点に全国を歩く女性醤油ソムリエ〜

醤油や素麺、オリーブの産地として知られる小豆島

醤油や素麺、オリーブの産地として知られる小豆島。特に江戸時代後期にはじまった醤油づくりは日本の4大産地の1つです。人口およそ3万人の穏やかな島には、今も木桶仕込みの醤油蔵が数多く残っています。この島で生まれ育った黒島慶子さんは、「醤油ソムリエール」としてWebや雑誌、書籍などで情報を発信し続けています。しかも小豆島だけでなく、今は全国の蔵人を訪ね歩いています。黒島さんはなぜ醸造文化の1つである醤油に心惹かれたのでしょうか。

黒島 慶子さん

醤油ソムリエール
オリーブオイルソムリエ
Web&グラフィックデザイナー
黒島 慶子さん くろしま けいこ

小豆島の醤油のまちに生まれ、蔵人たちと共に育つ。醤油をこよなく愛する日本初の女性醤油ソムリエ。京都造形芸術大学でデザイン広告を専攻。その卒業制作を機に「やるなら私を育ててくれた小豆島のためになることを!」との思いから改めて醤油に出会う。卒業後、社会人生活を経て2009年に小豆島に戻る。醤油を造る職人に惚れ込み、小豆島を拠点に全国の蔵人を訪ねては、さまざまな人やコトを結びつけている。

生まれ育ったのは「醤油のまち」

 小豆島の醤油がもつ価値に私が初めて気づいたのは、大学3年生で取り組んだ卒業制作のときでした。

 小さい頃から絵を描くのが大好きで、高校も美術科に通うなどひたすら芸術の道を歩んでいましたが、あるとき「自分が今やっていることは、社会の役に立つのだろうか?」という疑問を抱いたのです。そこで、大学の卒業制作を通じて「私にしか表現できなくて、なおかつ社会に役立つことを見つけよう」と決めました。

 私に表現できることを探すには、生まれ故郷の小豆島と向き合うことがいちばんです。半年間通っていろんな人に話を聞き、文献でも調べたのですが、どうもピンときません。そこであえて避けていた醤油蔵を訪れました。

 避けていたのは、私自身が醤油と深いつながりがあったから。父親は醤油メーカーに勤めていましたし、祖父の代までは家にもろみ蔵があって醤油を製造していました。つまり私は「醤油に育てられた」のです。実家は醤油蔵や佃煮工場が軒を連ねる「醤の郷(ひしおのさと)」にあります。明治時代に建てられた醤油工場やもろみ蔵が今も活躍している地区です。小さい頃から私のことを知っている、まるで親戚のような近所の人たちに「取材させてください」というのが恥ずかしくて避けていたんです。

 しかし、意を決して醤油蔵を訪ねました。そこで私が表現したいものを見つけたのです。

醤油や酒などの醸造で発酵が済んでまだ漉していないもの

蔵人と消費者をつなぎたい

 島内には大手企業から家族経営までさまざまな規模の醤油メーカーがあります。1軒ずつ訪ねて話を聞くと、皆さんとても真面目に醤油づくりに取り組んでいるのです。特に杉の木桶仕込みが盛んで、日本に現存する木桶の1/3以上が小豆島にあると言われるほど。「こういう醤油蔵があるのは地元の誇りだ」と感じました。

 感動した私はある蔵人に「この醤油づくりをぜひ続けてください!」と何気なく話したところ、「利益が出ないから、続けたくても続けられないんだ」と言われました。ハッとしました。ほかの蔵でも聞いてみると、手間ひまかけて丁寧につくっているがゆえに、経営状況はあまりよくないことがわかってきました。

 醤油づくりは小豆島の要です。島の政治も経済も醤油で財をなした人たちが担ってきましたから、その産業が廃れてしまったら小豆島は苦しくなります。「100年後、この島の子どもたちが生きていく基盤がなくなってしまうかもしれない」という危機感を抱きました。

 それでは私に何ができるのか。経営のことはさっぱりわかりません。芸術の道しか知らない私には「表現すること」しかない。あらゆる方法を使って表現して、醤油のつくり手である蔵人とたくさんの人々をつないで、醤油メーカーの利益に結びつける。それを一生の仕事にしようと決めたのです。

  • 黒島さんの案内で訪れた株式会社ヤマヒサのもろみ蔵。同社は木桶を168本使っている。木桶仕込みは菌が棲みついているため、味や香りが複雑になる。かき混ぜるとプツプツと酵母が発酵していた


    黒島さんの案内で訪れた株式会社ヤマヒサのもろみ蔵。同社は木桶を168本使っている。木桶仕込みは菌が棲みついているため、味や香りが複雑になる。かき混ぜるとプツプツと酵母が発酵していた

  • とにかく原材料にこだわるヤマヒサの代表取締役社長・植松勝久さんと(談笑する)黒島さん。同社がオーガニックの醤油を輸出するようになったのは日本でも一二を争う速さ。「ヤマヒサさんのお醤油は香り高くて骨格のある味です」(黒島さん)


    とにかく原材料にこだわるヤマヒサの代表取締役社長・植松勝久さんと談笑する黒島さん。同社がオーガニックの醤油を輸出するようになったのは日本でも一二を争う速さ。「ヤマヒサさんのお醤油は香り高くて、がっしりした骨のある味です」(黒島さん)

  • 黒島さんの案内で訪れた株式会社ヤマヒサのもろみ蔵。同社は木桶を168本使っている。木桶仕込みは菌が棲みついているため、味や香りが複雑になる。かき混ぜるとプツプツと酵母が発酵していた
  • とにかく原材料にこだわるヤマヒサの代表取締役社長・植松勝久さんと(談笑する)黒島さん。同社がオーガニックの醤油を輸出するようになったのは日本でも一二を争う速さ。「ヤマヒサさんのお醤油は香り高くて骨格のある味です」(黒島さん)


黒島さんによる株式会社ヤマヒサの紹介記事
http://colocal.jp/topics/food-japan/shoyukiko/20140821_35651.html

醤油の情報発信のために東京で就職

 大学を卒業したらすぐにでも小豆島に戻ろう、そして醤油産業のために力を尽くそう――そう思っていたのですが、母親に「何もできないあんたが帰ってきてどうするの?」と止められました。その通りですよね。世の中のことを何も知らずに戻っても役に立たないでしょう。

 では何をすればいいのか考えました。醤油の魅力を小豆島から伝えるには、インターネットがよいのではないか。離島という地理的条件がハンディキャップにならないし、これまで培った表現方法も活かせるはず。そう考えて、卒業後に東京のWebデザイン会社に就職しました。ITの知識をもたぬまま就職したので最初は足手まといでしたね(笑)。でも3年間なんとか勤めて一人前になりました。次にグラフィックを身につけるため、高松市にあるデザイン会社に転職しました。企業で身につけた知識は、今とても役立っています。

 大学生のときからブログで小豆島の醤油産業の情報を発信し続けていました。「京都の女子大生がやたらめったら醤油の蔵人にはまっている」というコンセプトにしていたため、結構おもしろがられて、いろんな人とのつながりができました。醤油蔵は平日しか見ることができませんから、東京で働いていたときは休日に出勤して平日にお休みをもらい、島に戻っては取材して、ブログを更新していました。

 高松市のデザイン会社を辞めて島に帰ってからは、ありとあらゆる方法で醤油産業の情報を発信しています。インターネットで醤油屋さんのまとめサイトをつくったり、いろんな出版社と組んで本もつくっています。Webや紙媒体だけでなく、直接人に会って伝えてもいます。「とにかく蔵人を伝えたい」という思いで突っ走ってきて、今のような仕事のスタイルになりました。

  • ヤマロク醤油株式会社の五代目・山本康夫さんと黒島さん。同社はステンレスやFRPのタンクを使わず、木桶61本だけで醤油をつくり続けている。敷地内の井戸から汲んだ水で仕込む。「ヤマロクさんは旨みの強いしっかりしたお醤油をつくられます」(黒島さん)


    ヤマロク醤油株式会社の五代目・山本康夫さんと黒島さん。同社は木桶61本だけで醤油をつくり続けている。敷地内の井戸から汲んだ水で仕込む。「ヤマロクさんは旨みの強いしっかりしたお醤油をつくられます」(黒島さん)

  • 腕のよい大工2名とともに山本さん自らつくった新桶。仕込み用の大桶をつくれる職人は大阪に1人しかいないため、山本さんは弟子入りして桶づくりにも取り組む


    腕のよい大工2名とともに山本さん自らつくった新桶。仕込み用の大桶をつくれる職人は大阪に1人しかいないため、山本さんは弟子入りして桶づくりにも取り組む

  • ヤマロク醤油株式会社の五代目・山本康夫さんと黒島さん。同社はステンレスやFRPのタンクを使わず、木桶61本だけで醤油をつくり続けている。敷地内の井戸から汲んだ水で仕込む。「ヤマロクさんは旨みの強いしっかりしたお醤油をつくられます」(黒島さん)
  • 腕のよい大工2名とともに山本さん自らつくった新桶。仕込み用の大桶をつくれる職人は大阪に1人しかいないため、山本さんは弟子入りして桶づくりにも取り組む


黒島さんによるヤマロク醤油株式会社の紹介記事
http://colocal.jp/topics/food-japan/shoyukiko/20140327_31059.html

「醤油ソムリエール」の誕生

 とはいえ、私1人では何をしたらいいかわからないんです。だけど「こんなことやらない?」と声をかけてくれたり、アイディアを持ってきてくれる人たちに支えられています。醤油ソムリエを名乗るようになったのもいろんな人にいじられたからです(笑)

 私が蔵人を訪ねて情報発信していることを知った人たちに「醤油ソムリエじゃん!」とからかわれました。「なんちゃって醤油ソムリエ」として活動していましたが、島に戻った年にたまたま小豆島で醤油サミットが開かれました。そこでいろんなメーカーの社長さんに「醤油ソムリエみたいな仕事をしています」と話すと「ちゃんと名刺に書いておきなさい」と言われました。それからです、名刺に肩書きを入れるようになったのは。

 全国で醤油ソムリエを名乗っている人は私を含めて3人います。ほかの2人は男性なので、女性の醤油ソムリエ、つまり醤油ソムリエールは私だけです。とはいえ正式な資格ではなく「自称」なのです。

11年目から全国の醤油蔵へ

 大学3年生からの10年間は、小豆島の醤油だけに絞っていました。はたちそこそこの娘が「醤油の情報発信を一生の仕事にします!」と言ってもあまり説得力がないですよね。私の「本気」を島の人たちに認めてほしかったので小豆島にこだわっていたのですが、そのうち「ひょっとして、小豆島にも今とは違うやり方や新しい可能性があるんじゃないか?」と思うようになりました。

 そこで、活動を始めて11年目に「よし、全国へ行こう!」と決めました。今は1カ月で1週間ほどかけて各地の蔵を訪ねています。基本は醤油蔵ですが、農業も観に行きます。酒造メーカーや酢のメーカーも巡っています。

 小豆島以外を訪ねると、いいなと思う場所は多いです。ミツカンさんゆかりの知多半島にもはまりました(笑)。お会いする方々からその土地の気候や歴史、地理的背景を活かして醸造や農業に取り組んでいることを知るだけでなく、小豆島に対する視点も増えたのです。それまでは「あれ、蔵の窓が開いてるな」としか思わなかったけれど、各地を巡ったことで「そうか、風を入れて湿度の調整をしていたのか!」と気づくようになりました。

 多くの人に出会うことで、小豆島に興味を持っていただく機会も増えています。たとえば料理人の方々。醤油は料理に欠かせないものですが、小豆島には味や香りの異なる醤油がたくさんあります。小豆島は、最初から東京や大阪という大きなマーケットを意識した高級品を数多くつくっています。都市が求める醤油は時代によって異なりますが、今では価値の高い醤油(杉の木桶仕込み&国産丸大豆)が主流です。木桶仕込みの最大の特徴は、蔵の個性を楽しむことができること。蔵によって風味は違いますが、味が深くて旨みがあるため、それを好む人たちは価格が多少高くても買い求めます。知り合った料理人さんに小豆島へ来ていただいて醤油蔵を案内することで、取引につながることも増えています。

 少しずつですが、地域を越えた人と人との交流のきっかけづくりや潤滑油のような役割ができている実感があります。

黒島さんが食に関する連載を執筆中の雑誌『せとうち暮らし』。webや紙媒体などさまざまな媒体で情報を発信している

黒島さんが食に関する連載を執筆中の雑誌『せとうち暮らし』。webや紙媒体などさまざまな媒体で情報を発信している

オリーブオイルや素麺も発信

 私は4年ほど前からオリーブオイルソムリエとしても活動しています。「醤油ばかりでなくオリーブもやってよ」と島の人に言われていたのですが、「醤油に専念したいんです!」と最初はお断りしていました。けれど小豆島の経済を考えたら、オリーブオイルの情報発信も必要だと思い直したのです。

 ちょうど一般社団法人 日本オリーブオイルソムリエ協会が発足したところでしたので、試験を受けて資格をとりました。香川県内にあるオリーブオイル生産者はすべて取材し、Webと冊子にまとめました。

 島内の素麺メーカーさんにも顔を出します。小豆島の場合は家族経営の小規模なメーカーが多いのです。例えば、従業員の賄い食として出していた「生そうめん」がおいしいと評判になり、それをメニューとして飲食店を出したメーカーさんもあります。そのメーカーさんからはデザインのお仕事をいただいたりしています。

 醤油だけでなくオリーブオイルや素麺の情報発信に取り組んでいるのは、それぞれが単体で味わうものではないからです。例えば醤油は、素麺のつゆ、あるいは洋風料理の隠し味など食材に合わせて使ってもらうことが多いもの。ですから醤油だけでなく、現場に足を運んで、食材を含めて勉強して記事にすることにも取り組んでいます。

  • 岬工房の土居秀浩さんとオリーブの木について話し込む黒島さん。土居さんはスペイン、イタリア、モロッコなどを精力的に訪れている

    岬工房の土居秀浩さんとオリーブの木について話し込む黒島さん。土居さんはスペイン、イタリア、モロッコなどを精力的に訪れている

  • 岬工房のオリーブの実

    岬工房のオリーブの実

  • 手延べ素麺の「箸分け体験」を指導する株式会社中武商店の代表取締役・中武義景さん。飲食店兼工場直売所「なかぶ庵」の店主でもある

    手延べ素麺の「箸分け体験」を指導する株式会社中武商店の代表取締役・中武義景さん。飲食店兼工場直売所「なかぶ庵」の店主でもある

  • 岬工房の土居秀浩さんとオリーブの木について話し込む黒島さん。土居さんはスペイン、イタリア、モロッコなどを精力的に訪れている
  • 岬工房のオリーブの実
  • 手延べ素麺の「箸分け体験」を指導する株式会社中武商店の代表取締役・中武義景さん。飲食店兼工場直売所「なかぶ庵」の店主でもある

醤油という日本のよき文化を残したい

「黒島さんの目的は小豆島のブランディングなの?」とよく言われますが違うんです。根本は「醤油をつくる蔵人が大好き」。郷土愛というよりも「小豆島に好きな人がいっぱいいる」という感じです。

 これからの目標は、木桶仕込みなどこだわりの醤油づくりが残るような環境をつくっていくこと。大手メーカーさんを否定しているわけではありません。大手メーカーがいるからこそ、そのほかの中小メーカーが「じゃあ、うちはこれで勝負しよう」とがんばって多様性が生まれるのですから。

 20歳のとき、私は「『いいものはいい』と思うだけでは残らないんだ」と思いました。醤油も水も森林も景色も、いいものだからこそ何もしないと消えていく……。だから「いいなー」と思うだけでは無責任だと思うんです。私みたいに何もできない人間でも、とにかくできることからやらないといけません。

 オリーブオイルソムリエの仲間を小豆島で案内することが多いのですが、帰るときに「あのお醤油蔵、すごかったよね!」と話していることをよく耳にします。醤油をはじめとする調味料は、ふだんあまり意識しないで使っているからこそ、改めて知ると「そうだったんだ!」と感激するようです。

 気候や風土から生まれた醤油は日本のよき文化です。だから感動するし「いいなー」と思う。そういうものを100年後にもきちんと残したい。それが私の望みです。

醤油蔵や佃煮工場が軒を連ねる「醤の郷(ひしおのさと)」と内海湾を碁石山から臨む


醤油蔵や佃煮工場が軒を連ねる「醤の郷(ひしおのさと)」と内海湾を碁石山から臨む



(取材日 2014年7月29〜30日)

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