今号から新たに掲載する「水を想う」。これは機関誌『水の文化』の特集取材でお会いした方々に「水への想い」や「水にまつわる想い出」をお聞きするものです。記事では語りつくせなかったお話をどうぞご覧ください。
高木 英樹 さん
岐阜県の垂井町という水の豊かな地で生まれました。小さい頃から谷川で泳いだり、サワガニを捕まえたりして遊んでいました。
泳ぐのが大好きで、小学校の夏休みのプール開放は1年生から6年生まで休まずに参加しました。中学校では夏は水泳部、それ以外の季節はバスケットボール部に所属していたくらいです。
ご存じのように岐阜は海なし県ですから、初めて海を見たのは小学校中学年。「こんなにたくさん水があるんだ!」と驚いたことを覚えています。
大学の授業では海へ潜ったり2時間泳ぎつづける遠泳なども担当しましたが、海や水を見ると今でもわくわくするのです。
畔柳 昭雄 さん
初めて海水浴に行ったときに見た海がとても美しかったのです。朝起きると潮が満ちていて前日に泳いだときよりも水が多く、水底まで透き通っていて、魚が泳いでいる姿もはっきり見えました。
それからずっと海が好きです。最初から水面に浮かぶことができたので、泳ぐのを怖いと思ったことはありません。中学校では水泳部、高校では水上スキー部に所属していました。
都内で好きな場所は、都電荒川線と並行して流れている神田川です。川底に切り込みを入れているのか、水面が波打っているんですね。車窓から眺めていると、なぜか心がスッと落ち着きます。
樫村 幸治 さん
水泳を始めたのは、5歳のときに父親と釣りに行って涸沼川(ひぬまがわ)に落っこちて溺れたことがきっかけです。父親は那珂湊の出身で水に親しんでいたので「待っていたら1回浮いてくるだろう」と様子を見ていて、私が浮いたときにすかさず引っ張り上げてくれました。
父親に「また釣りに行きたいか」と聞かれ、行きたいと言うと「じゃあスイミングスクールに行きなさい」と。シャンプーハットを使うくらい水は苦手でしたが、釣りに行きたい気持ちが勝ったんですね。
今は人よりも多少は泳げるようになりました。「何かを続けるのは大事なことなんだよ」と子どもたちによく話しています。
林 大介 さん
夏は暑いので、涼しさを求めてずっと川に浸かっていました。釣りをしたりエビを獲ったりしてね。
四万十川では一年中遊んでいましたが、夏休みになる前、川は漁の場所でした。「コロバシ」というウナギ漁では竹の筒を使うんですが、ミミズを掘りに行って竹の筒に入れて、夕方になると先輩に聞いたウナギの通り道に仕掛けに行き、翌朝の5時半とか6時にそれを引き上げに行きました。
獲れたウナギを買い取りのお兄さんに渡すとお金がもらえたのです。お正月以外に現金をもらうことはなかったので、いい小遣い稼ぎでした。それでお菓子やBB弾を買ったりしました。
矢野 健一さん
最初の釣りは野池のフナでした。竹を切って竿をつくって池で釣りをして、次に四万十川の支流でハヤンボ(カワムツ)釣り。そうして釣りを覚えていきました。
季節によって釣る魚、獲る魚も変わります。春はフナ、夏は川でアユやウナギやナマズ、秋はウグイとコイ、冬はドンコです。
冬は寒さに震えながら川に入って、石を起こして動きの鈍いドンコを「エビ玉」で捕まえます。エビ玉とはテナガエビを捕まえる網で、糸で編んだ直径15cmくらいの玉網です。ドンコは遠火でじっくり焼いて乾燥させて保存できるようにし、煮つけなどで食べました。白身でおいしいんですよ。
野口 博子 さん
生まれ育った白浜町(現・南房総市)でサザエやトコブシが獲れるのは5月からです。今と違って深い場所じゃなくてもサザエはたくさんいたんですよ。
潜るときは命綱と貝を入れる網を結びつけた樽を持って行きました。命綱は自分の腰にちょっと挟んでおいて、すぐに外れるようにして泳ぎます。
命綱を体にしっかり結びつけないのは、もしも綱が岩に絡みついたら自由に泳げなくて溺れてしまうから。本職(プロ)の海女(あま)(海士)(あま)でも亡くなる人は時々いるのです。海は楽しいけれど危険もありますので、絶対に一人では潜りに行きませんでした。