2020年12月22日
伊豆半島では、テングサの収穫期になると河口に設けられた小さな堰に川の水を溜め、あるいは湧き水を使って、採ってきたテングサを漬けて塩を抜く。そうした水場は「洗い場」と呼ばれている。灌漑とはまた異なった真水の使い方を長年続けている漁村の現場を見るために、西伊豆へ向かった。
2020年12月22日
約400年前から武家屋敷地区、町家地区などを流れ、下流の水田を潤す「雄川堰」。ここから取り入れる水は、戦後に上水道が整備されるまで、とても重要な生活用水だった。高度経済成長期に生活排水で汚れてしまうものの、地域一体となった努力によって清流を取り戻し、2014年(平成26)には「世界かんがい施設遺産」にも登録されている。今も住民たちが当番制でごみを片づけているという城下町を訪ねた。
2020年12月22日
広瀬 伸
ひろせ しん
水土文化研究家
「黒鍬」という言葉を聞いたことがあるだろうか。大型の建設機械がない時代、どうやってつくったのかと首をかしげるような水路やトンネル、堰などが各地に存在するが、それらを...
2020年12月22日
2015年(平成27)に「世界かんがい施設遺産」に登録された「上江用水路」。江戸幕府が成立する前から多くの農民の努力で掘り継がれ、今も広大な高田平野を潤す重要な用水路である。
2020年12月22日
1998年(平成10)に長野で開かれた第18回オリンピック冬季競技大会(長野)で、男子のスキー・ジャンプが金メダルを獲得した白馬ジャンプ競技場。そのほぼ向かい側の山の中腹に、古くから続く山村「青鬼集落」がある。
2020年12月22日
渡邉紹裕
わたなべ つぎひろ
熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター特任教授 国際かんがい排水委員会(ICID)国内委員長
地表を流れる、あるいは地下に潜む水を、農作物を育てるために利用しようと、人はさまざまな工夫を重ねてきた。水を溜め、水路を引くなどして耕作地を潤すことを「灌漑(かんがい)」と呼ぶが、日本中に広がる灌漑施設は、運用方法も含めて海外から評価されているという。その土地で使いつづけられる灌漑施設の課題や展望を、熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター特任教授で国際かんがい排水委員会の国内委員長も務める渡邉紹裕さんにお聞きした。
2020年12月22日
内山 節
うちやま たかし
哲学者 NPO法人 森づくりフォーラム代表理事
人は自らの生息域を広げようと、山かAら平野、海辺へと進出してきた。時代の流れとともに人が集う場所はどう変わってきたのか。そして、集落という単位で生きていくために、水をどう扱ってきたのか。哲学者の内山節さんに、人が水を治めることと地域社会の関係の遷り変わりについてお聞きした。
2020年12月22日
藻谷 浩介
もたに こうすけ
地域エコノミスト
これまでに、平成合併前の全市町村と世界114ヶ国を自費で巡ってきたが、人生最初の“一人旅”は、生まれ育った山口県徳山市(現周南市)にあったデパートで、迷子になったときだと思う。3歳くらいだったらしい。いつの間にか消えた我が子を必死に探す母が、道行く人に聞くと、「向こうにそれらしい子が歩いて行ったよ」という。追ってみると、商店街を500mほど行った先の橋の上で、東川という小さな川の水面を、一心に眺めていたそうだ。
2020年10月16日
坂本 貴啓
さかもと たかあき
国立研究開発法人土木研究所 水環境研究グループ 自然共生研究センター 専門研究員
今号は新型コロナウイルスの感染拡大防止により現地取材をとりやめました。代わりに本連載で巡った19河川を振り返り、さらに残りの90河川をどのような視点で巡ればよいのかを考えるために、東京大学准教授の知花武佳さんをお招きしました。
2020年10月16日
古賀 邦雄
こが くにお
古賀河川図書館長 水・河川・湖沼関係文献研究会
天正18年(1590)、徳川家康は秀吉から関八州(相模、武蔵、上野、下野、上総、下総、安房、常陸)を授かった。家康は家臣から江戸への国替えは猛反対を受けたが、小田原、鎌倉の地でなく太田道灌が構えていた江戸城を本拠地とした。