2021年03月03日
東川町のまちづくりでターニングポイントとなったのは「写真の町」宣言。「一村一品運動」を東川流に取り入れ、新たな文化を醸成しようとしたことから、写真を撮りに来る人たちに恥ずかしくない地域にしようと、のちの木彫看板、景観条例、東川風住宅設計指針などへつながっていく。
2021年03月03日
東川町の人口は1950年(昭和25)に1万754人を記録して以降減りつづけ、一時は7000人を割り込んだ。しかし、1994年(平成6)以降は増加に転じ、2014年(平成26)には42年ぶりに...
2021年03月03日
鈴木輝隆
すずき てるたか
資源家(地域クリエイター) 江戸川大学名誉教授
全国を飛び回って地域と人をつなぎつづけ、さまざまな地域でプロジェクトに携わる「みつばち先生」こと鈴木輝隆さんに、現代のまちづくりの概況と東川町の位置づけ、これからの地域社会をつくるために必要なことを聞いた。
2021年03月03日
田中 雅美
たなか まさみ
スポーツコメンテーター
私が生まれたのは、北海道紋別郡の遠軽町というまちです。当時住んでいた家の裏には牧草地が広がり、積まれた牧草によじ登ってよく遊んでいました。遠軽町はコスモスが有名でとてもアットホームな雰囲気なのですが、その温かさは幼いながらに感じていました。
2020年12月22日
古賀 邦雄
こが くにお
古賀河川図書館長 水・河川・湖沼関係文献研究会
いつの時代でも日本列島は豪雨、台風、高潮などの水害に襲われる。水害に遭遇した人々はその人生を変えてしまう。シネマ『みをつくし料理帖』は、享和2年(1802)、8歳の澪と野江は姉妹のような仲よしの二人で、大坂を襲った大洪水によって両親を亡くした。澪は江戸の神田の蕎麦処「つる家」で料理人に、野江は吉原の遊郭に買い取られ花魁となる物語である。水害は非情であり、二人の運命を変えてしまった。
2020年12月22日
鳥越皓之 とりごえ ひろゆき
「水(みず)っ子」とよびたい人たちがいる。なによりも水が好きな人たちのことである。青森県の方言では、河童のことをスイッコというが、水っ子はまさに河童のようだ。
2020年12月22日
「奥会津」と称される福島県の南会津町。一級河川・阿賀川(阿賀野川)の支流・湯ノ岐川(ゆのまたがわ)沿いに車で上っていくと、茅葺屋根の家屋を含む十数軒の家々が現れる。水引(みずひき)という名の集落だ。
2020年12月22日
伊豆半島では、テングサの収穫期になると河口に設けられた小さな堰に川の水を溜め、あるいは湧き水を使って、採ってきたテングサを漬けて塩を抜く。そうした水場は「洗い場」と呼ばれている。灌漑とはまた異なった真水の使い方を長年続けている漁村の現場を見るために、西伊豆へ向かった。
2020年12月22日
約400年前から武家屋敷地区、町家地区などを流れ、下流の水田を潤す「雄川堰」。ここから取り入れる水は、戦後に上水道が整備されるまで、とても重要な生活用水だった。高度経済成長期に生活排水で汚れてしまうものの、地域一体となった努力によって清流を取り戻し、2014年(平成26)には「世界かんがい施設遺産」にも登録されている。今も住民たちが当番制でごみを片づけているという城下町を訪ねた。
2020年12月22日
広瀬 伸
ひろせ しん
水土文化研究家
「黒鍬」という言葉を聞いたことがあるだろうか。大型の建設機械がない時代、どうやってつくったのかと首をかしげるような水路やトンネル、堰などが各地に存在するが、それらを...